びーすけ工房でひとやすみ

思うことをびーすけ工房からお送りします。

ノーベル賞

 明るい話題です。
 
 しかし、受賞者からは基礎研究の現在、未来について厳しいメッセージもありました。
 
 さらに、賞をとったことでセンセーショナルに報道されて、「万能薬」のような誤解が広がるのではと、心配をしている専門家も居られるようです。
  
 でも、今日はその話題ではありません。
 
 生命体の中で起きている様々な現象を追究して行く過程で様々な発見があり、その発見がどういう意味、作用、影響力などをもっているのか、生命科学に生きる人たちは根気よく毎日毎日広大な"人体宇宙"の中を巡っているのだろうと想像すると、人類が信仰と科学を調和させて歩んだ千年紀の物語が、今加速度的に"限界点"に近づいているのではないかと思えてしまいます。
 
 30年ほど前、S・ホーキング博士の「ビックバン理論」を紹介するテレビ番組の中で、当時京都大学で宇宙物理学の教授であった佐藤文隆さんがビデオ出演していろいろ話されていることの中で、今でも記憶とこころに残った話がありました。

記憶の限りで、その要旨は、
 
『不安なことがあるとすれば、人間が宇宙の真理について、ついにそこに行き着けないのではないかと思うことです・・・』

 
 山中伸弥教授がノーベル賞を授与されてしばらくして出演したテレビ番組の中で、ご自分が研究してることが正しいことなのか考えることがある、、、のようなことをおっしゃってました。 
 
 佐藤先生の話、そして山中先生の話、これには共通点があって、求めていることが手に入るかどうかは、実のところは分からないということでしょうか・・・。
 
 思えば、中世ヨーロッパの教会社会の中で、教会の在り方に疑問を持つ人々が現れて、やがて「神への信仰」から「神の存在証明」に向かうことで、科学的思考とそれを許諾する宗教改革が時代を変化させました。
 
 人間が常に不安、不満に思うことを、神への信仰に依拠することで昇華してきたものが、現象の観察、分析、理論化、実験という科学的方法により解決する道筋に受け渡されました。
 
 しかし、究極的なところについて、これはもはや哲学的命題となるのですが、「宇宙の根源」とは、「生命の根源」とは、「人間の価値」とは、、、
 
 宗教にまかせてきたテーマが、果たして科学によって納得の行く到達点まで行けるのか・・・?
 

 このように疑問を持ってしまうと鬱になります。

 
 答えを求めて日夜研究している学者さんのみならず、この世に生きるすべて人間が、与えられた一度の生命の方向を時に意識的に、時に無自覚に"消費"しているのだと思います。
 
 それは、この自然界の循環の一部なのだと思います。
 
 亡くなった樹木希林さんが、病気と闘いながら、「所詮この体は借りものだから」と泰然自若として"やるべきこと"に生ききった境地なるものも、このことを語っていると思えます。
 
 私たち人間の存在は、目的的なものではなくて、「現象の一つ」に過ぎないのだと思います。唯一の特質として、その現象を選択的に生きられる生きものだということでしょう・・・。