びーすけ工房でひとやすみ

思うことをびーすけ工房からお送りします。

否定の否定

 難しいのは分かっています。

 人それぞれですが、今の社会を覆っている表現しにくい重苦しさの中に置かれていると、どうしても考え方が否定から入っていってしまいます。
 
「ダメ出し」

 いやな言葉です。それが″改善″につながるという表現でもあるのですが、一体いつまで続くのでしょうか・・・。
 
 自分の意識の中だけでも冷静になって見つめると、否定感情が見えてきます。
 
 嫌い 憎い 許せない 腹立たしい 痛い 不愉快 ウザったい 逃げたい 悲しい 寂しい 辛い 暗い むしゃくしゃする イライラする 苦々しい 叫びたい 怒鳴りたい ぼーっとする 消えたい 呪いたい 殺したい 死にたい 
 
 まだまだ出てきそうです・・・
 
 
 気持ちを落ち着けて、一つひとつの否定を意識の中から消していきます。
 
 何が残るでしょうか?
 
 普通に、割と簡単にどうでもいいという気持ちに行きつきます。
 
 しかし、
 
 行きついても、、再び次の″否定刺激″で攻撃されると、再びこの″否定感情″が全身の神経を支配しようとします。
 
 結局、人生はこの繰り返しであることを知ります。
 
 お釈迦様もキリスト様も「許し」の悟りで、その″繰り返し″から解脱して、永遠にこの感情から解放されると教えてくれているので、もう相当の昔から道は示されているのですが、
 
 なぜ人間は解放されないのでしょうか?
 
 
 科学的に考えると、答えはそれほど難しくないような気がします。

 人間も自然界の一生物ですから、所謂″進化論″の中に閉じ込められている存在であって、「生存のための本質」から逃れられず・・・
 
 自己保存、種の保存、生命維持、そのための身体能力、その能力を支配する本能、つまり索敵力、判断力、決断力、攻撃力、種としての組織力、組織維持力、排除を含む自浄力、そしてこれらの能力を支えるのが、対象物に対する″否定力″
 
 な訳です。

 

 個人の否定力は「種としての人間の組織力」と矛盾します。なので人は社会の中では感情を″忍耐″で押し殺します。犬の待て! と同じです。なので、否定感情を行動に移せる許された環境で暴発します。

 家族喧嘩 幼児虐待 いじめ 体罰 動物虐待 そして追い詰められて最後は自分に向けて・・・ 

 

 つまり、、、、どうにもなりません。宗教的な力で″疑似解放″された人々でさえ、″人間の本能を否定したい″という否定感情から逃れられないのですから・・・