一か月苦心した四輪バンドソーは、結果として失敗でした。
完全撤退・・・。
今、ややぼーっと、してます。
この一年、自分のための時間を大切にして来たつもりなのですが、この"感染騒ぎ"になって、、、
この一か月は、何故か世間の混乱、迷走に自分の意識も巻き込まれて、無理なことを意地になってやってた感が・・・。
~すこし、反省~
「新しい生活様式」
誰がこういう言葉を考えるのでしょうか?
"これが"、ということではなくて、感染拡大防止は共通項だとして、要するに一人ひとりが自分と周囲、全体との関係の中で、
「普遍的に通用するような生き方」
を、しなさいということなのでしょうか?
今のところ、表面的には飢え死にする人は報告されていません。格差社会の進行が、安く食料品を提供するスーパーや、献身的な慈善事業を増やしましたから・・・。
低賃金 いじめ 過労死 男女不平等 児童虐待 、、、
枚挙にいとまがありません。長いこと、社会問題解決のためと称して理屈先行の小手先改革がいろいろ叫ばれてきましたが、一応紛争のない、なんとか食べていられる現状が"ばらまき政権"を維持させてきました・・・。
今、現状に対する個々の不満を感じつつも、何故か、、
じっと、ガマンして、とにかく"工夫"しようとする、この国民性
不満が暴徒を発生させて、破壊的略奪が起こってしまう国とは異質な風景です・・・。
今、行政の混乱で"貰えるものもなかなか貰えない"状態でも、みんな、"よく考えるよなぁ"というアイデア、発想で乗り切ろうと、毎日のニュースでも報道されています。
そういう雰囲気は自分を触発させるものが少なからずあります。
考えてみると、「民意」というものは、何か意見のようなことではなくて、このような、誰にいわれなくても、自発的にあちこちで動きだす、
「普遍的に通用するような生き方」
が展開しているのでは、、、、
「新しい生活様式」
あんたにいわれなくても、とっくに国民はまともに生きようとしているんだぜ!
到底、子ども達の見本にはなり得ないような権力者や、たくみに低賃金労働社会をコントロールしようとする利益集団など、、、
汚いものとは異質の、素直で自然な意識の結晶のようなものが見えます・・・
それこそが、労働の本質だと、私は思います。