びーすけ工房でひとやすみ

思うことをびーすけ工房からお送りします。

内山節も限界?

 「うちやま たかし」?
 
  知らない人も多いかと・・・
  
  かなり昔、
  
  『自然・労働・協同社会の理論 新しい関係論をめざして』(農山漁村文化協会 1989年)
  
 という本を読んで、興味をもちました。
  
 興味を持つというのは、共感ということかと思いますが。
 
 略歴は省略しますが、現在はレアな文化人を好む東京新聞に時々寄稿してます。
 
 
 この半年間、日本も世界も一変させている「コロナ問題」について、先日寄稿があり目を通しました。
 
 
 自然と人間、そして経済社会の変容についての、これまでの内山の考察をベースに、水田に生息する"害虫"の意味を紹介しながら、人間主体の世界観がもたらした様々な問題を、人間主体という意識を自然に戻して解放すれば、人間もまた自然界の
共生の中に組み込まれると・・・

 以前からの主張ではあるが、今、このコロナ問題、コロナ自体が害虫であるように、今までの価値観で向かうのでは、解決できないであろうという現実・・・
 
   ?
 With corona
 
 新語、、、
 
 どう付き合って行くのかという普通の解釈、、つまり方法論的な、、、
 
 
 言葉自体の意味を大きく解釈すれば、内山の見解と同義とも思えます。
 
 
 "害虫とも共生して行く"べきという、人類文明の宿命。
 
 
 思えば、気候変動(原因はともかく)も同じことです。
 
 存在発生のメカニズム(未知)自体は否定できない・・・。
 
 しかし、つき合っていかざるをえない。
 
 
 自粛優先か経済優先かの差し迫った選択肢で政権がぐらぐらになっていますが、、、
 
 
 要は、人間主体、そもそも人間どうしも強いものが弱いものを餌食にして繁栄して行くという、おぞましい共食いのような態度で、共生すべき自然をもずたぼろにして来た結果でもあるので、
 
 
 人類の命題、"自然に帰れ"をどう実現するのか?
 
 民主的教育のおかげで、利益主義やイデオロギー対立よりも、このことの方がよほど真剣に考えなければならないと、考え、思える、レベルの高い人々も増えています。

 

 ただし、
 
 残念ながら、このようなことを書いている自分も、世の中で実働している人々の中からも、そして、内山自身からも、方法論、マニュアルとしての解答が何処からも出せません・・・
 
 
 思うのですが、火星探査とか、宇宙創生とか、先端科学が本当に答えに行きつくのかという疑問と、もしかした、同じレベルで解答不能なのではと、
 
 
 個々の人間の死のような認識の限界点と同じように突きつけられた悲劇と感じてしまうのは、悲観的なのに楽観的な無責任のような、この世論のような、、、
 
 
 絶望的とは思いたくないのですが