びーすけ工房でひとやすみ

思うことをびーすけ工房からお送りします。

これからの中国

 タイトルが難しかったのですが、″期待値″を込めました。
 
 それが世界の求める″理想の中央値″になって欲しいからです。
 
 
 180年程前、中国を支配していた清はイギリスとの戦争(アヘン戦争)に敗北して、近代化への初手でつまづきました。
 
 一方日本は紆余曲折しながらも近代化へ踏み出しました。
 
 両者の違いはなんであったのか・・・。
 
 
 中国はプライドが高すぎた、日本は昔から外来に柔軟だった。


 
 そういう決まり文句が聞こえてきそうです。
 
 後に中華人民共和国建国の主役となった毛沢東は、その若き日に、近代化を進めロシアとの戦争にも勝利した日本に関心を持ち、、、、
 
 しかし残念ながら、日本近代化の″維新世代″が第一線から退いた後の昭和時代、過ちを繰り返した″侵略世代″と対峙し、不幸な日中関係の中で、アメリカにとっては都合の良い″日中対立時代″を導いてしまいました。
 
 考えてみれば、元来中国の文字である漢字をこんなに大事にしている国民は他にはありません。一方、先進国の中でこんなに英語が苦手な国民も他にはありません。
 
 
 1904年の日露戦争後、日本は朝鮮半島を植民地化し、さらに「満蒙問題」というテーマで、ロシア、後にソビエトとの地政学的観点から現在の中国東北部を拠点化する1932年「満州国建国」に突き進みました。この流れに関わった日本陸軍、現地関東軍参謀石原莞爾大佐は、後の1937年日中全面戦争化には反対し軍内部の主流から外され、戦後は戦犯から免れました。
 
 石原という人物から聞こえてくるのは、「五族協和」「最終戦争」ですが、五族協和は、日本、朝鮮、満州・蒙古、中国のことで、この五つが協和し、欧米の世界覇権と決着をつける最終戦争に向かう・・・というもの
 
 その頃、台湾、朝鮮、そして満洲は日本の軍政が敷かれていたので、残る中国と戦争をしては意味ないということでした。
 
 
 思うのですが、1911年の中国の辛亥革命が50年早く起こり、「中国版明治維新」があれば、この動きを主導していたのは中国だったかも知れません・・・
 
 
 戦後、日本はアメリカの属国になってしまい、国内に幾つもの米軍基地を許しています。
 
 そして、戦後中国はようやく″明治維新″=改革・開放を実現し,その民族パワーであっという間に日本を抜き去る経済大国になりました。
 
 世紀を超えての恩讐、あのアヘン戦争の屈辱を倍返しする時を迎えています・・・。
 
 
 ここまでは事実関係で、ここから先の私見ですが、、、
 
 中国は日本を敵に回してはダメでしょう。それをしたら、かつて日本が犯した過ちに陥ります。
 
 逆に、過ちを経験した日本には、この先行うべき使命が発生していると思えます。
 
 これだけの米軍の極東戦略を負わされている日本であるのだから、むしろ巨大化する中国との関係改善を全力で行い、双方の利害調整の要をめざすことなのだと考えます。
 
 軍事戦略の背景には軍事産業をはじめとする″悪しき利益集団″が暗躍しているので、このような方向性を阻止するためのあらゆる陰謀がめぐらされるでしょうが、
 
 これに失敗したら・・・
 
 どうなるのか
 
 
 石原は「最終戦争」後の世界をどのように考えていたのでしょう?
 
 天皇が世界を支配する恒久平和が達成されると考えたのでしょうか。
 
 と、それと同じように、アメリカが世界を支配する、とか中国が世界を支配するとか、
 
 「八紘一宇」と同義としたら、これは実にバカバカしいことで、東シナ海南シナ海はだれのものか、
 
 人間本位の正しい答えなどは存在せず、答えのないものに多くの糧を投入していたずらに緊張を高め、そして、その一端をかつぐような、そのような愚かな日本にはなって欲しくない。
 
 なので、「これからの中国」
 
 それについて、日本はとても重要なポジションにあると、中国の指導者たちに感じてもらえるような策を考えられる指導者を私たちが選ばなければなりません・・・。