びーすけ工房でひとやすみ

思うことをびーすけ工房からお送りします。

誰のための民主主義

 この作文は″釈迦に説法″になりますが・・・。
 
 釈迦とは誰のことでしょう?
 
 
 「日本国憲法」そのものだと思えます。
 
 
 日本では義務教育は勿論、直接暮らしに影響する行政の様々な在り方についても、憲法の″精神″を学ばされ、その恩恵を受けています。
 
 戦後70年をすでに超え、それが空気のようになっているので、憲法の内容を自覚的に感じている人は減っているかも知れません。大学の憲法学者や司法関係者ならともかく、学校の社会科教員で憲法条文すべてを暗唱できるような人は殆どいないでしょう。

 人類の近現代史の中で、さまざま国家間紛争・戦争、民族対立、宗教紛争、人種差別、性差別、障がい者差別・・・、すべての差別、敵視・・・その結果としての惨い犯罪、戦争の歴史
 
 76年前、最後の世界大戦終了後、敗戦国日本にやってきた占領軍司令官のD・マッカーサーは、「ドイツは立派な成人だったが、日本は12歳の少年であるから・・・」と帰国後に語ったのですが、一部の日本人は″バカにされた″と憤慨したそうです。
 
 愚かなことです。そのとおりじゃないでしょうか?
 
 ドイツは第一次大戦後、当時としては画期的な民主的憲法がありながら、絶対的独裁者ヒトラーを支持し、ユダヤ人虐殺のような、市民社会としては極めて恥ずべきことをやってのけ、これは大人としては許しようのないことを犯しました。
 
 当時の日本の「大日本帝國憲法」は、王が定めた欽定憲法、その憲法では天皇を神とし、国民はその臣民とされ、体制に対しては殆ど思考停止を強要されていました。
 これは″わんぱく坊主″に有無を言わせず従わせる″校則″のようなもので、まさに12歳の少年対象の憲法であった訳で、しかもその校則をつくった日本の大人自体もこどもだったという笑えない現実・・・。
 
 
 わずか76年前、未曾有の犠牲を出して終結した第2次大戦の勝利と敗北、絶望と希望、未来への再構築、、、そのような時期に「人類の希望」をこめて、敗戦国日本に託されたのが「日本国憲法」であったのです。
 
 この憲法を否定する人たちは、それが「理想主義」に過ぎ、現実にそぐわない、「改正」すべしとの声を上げています。

 ″現実にそぐわない″とは、どの部分を指すのでしょう?
 
 この憲法には、この憲法を護るための強力な鍵がかかっています。
 
 この鍵によって自衛隊を軍隊にできないので、ジリジリとしている人々が政治の中心にいます。

 しかし、考えてみると、コロナ禍の現在、人類はますます協調・協力していかなければならない時代に、隣国中国のように力の支配の強硬姿勢をあからさまにする現実の前に、だから力で対抗を見せつけるというだけでなく、、、
「日本の戦争責任を言い続ける隣国」が、その反省に立脚した憲法を掲げる現代日本の平和主義を否定できるのか!と、強く主張する外交を展開すべきで、″理想を捨ててしまったら″、もはや希望は持てず、再び敵視と差別、そして殺し合いの歴史を繰り返すのだと、学ばせるべきだということです。


 「日本国憲法
 
 この憲法は、″民主主義は誰のためにあるのか?″を私たち一人ひとりに突きつけている憲法でもある訳です・・・。

f:id:oldbeesuke:20210409092136j:plain

1946年11月3日 日本国憲法公布