びーすけ工房でひとやすみ

思うことをびーすけ工房からお送りします。

さよなら全共闘

 私の大先輩世代です。共感はできなくも随分と勉強させてもらいました。
 
 「世代的自信」
 
 個人レベルでも集団でも共通にあったようです。
 
 基本、次の世代にいる私のような人間の発言や行動は、彼らの「価値観」の範囲を超えると、殆ど否定されました。
 
 反対に行動面で協同すれば親切にしてもらえました。
 
 
 日教組日本教職員組合)は、昔は組織率8割を超える″実力集団″でしたが、私の世代頃からそっぽを向く人が増え、恐らく現在は3割程度もないかもしれません。
 
 日教組はかつて社会党系(現社民党)の支持団体として自治労(地方公務員労組)とともに労働界の一大中央組織「総評」の柱でした。
 
 30数年前、この総評に加盟していた共産党系色の組織が袂を分かつ結果となった労働界の大再編成・分裂がありました。
 
 総評(公務員)と同盟(民間企業)の2大組織が一緒になって「連合」が発足したのですが、反共主義の強い同盟系労組と″共産党色″の強い組合は一緒にはなれず、共産党色の強い組織は新たに「全労連」を発足して独立しました。
 
 この大枠、形が現在も続いています・・・。

 
 
 一方、戦後長く政権の座にある自民党は、自由主義の大枠の中に右(タカ派)も左(ハト派)も抱え込んで、予算をとりっこする族も存在して、まさに社会の縮図的混在集団ですが、周期的に長期政権ができて腐敗します。党内でも危機感を持つ勢力が出ますが、基本大きく分裂せず、いやになれば勝手に出てけば的な歴史です。
 
 戦後、日本政界は自民党(経営側)VS社会党(労働側)の図式にあったわけですが、その労働側の方は前述のとおり大分裂して、結果、日本社会党は消滅しました。
 
 自民党は「改憲」を目指しています。旧社会党は「護憲」を主張してきました。
 
 現在、改憲の行方は混沌としてます。かたや護憲の態度をハッキリさせているのは立憲民主党日本共産党であるので、その点だけをとれば選挙協力は不思議ではありません。
 
 共産主義には旧ソビエト(ロシア)や中国、そして北朝鮮などのイメージが強く、日本人には反共感覚があると思えます。
 
 日本国憲法の柱は「平和と自由、民主主義」なので、共産主義は相容れません。恐らく、憲法の大きな大前提は、殆どの日本人は否定していないと思えます。明治憲法のように、結果として″憲法に生活が脅かされ、苦しめられている″という感情はないでしょう。
 
 自衛隊憲法明文化については、憲法条文に″自衛隊という文字″が入っていないことに、許しがたい感情を持つ自衛官が大勢いるとも思えません。
 自衛隊というのは、現在では職業の一つであり、職業名(警察とか消防とか教育機関、大企業・中小企業など)が憲法に書かれてなくても、すべて国民の生命と暮らしを守るために機能しています。
 
 憲法は「国家の精神」を表明するものであるので、他のものと区別してことさらに具体的な部分を憲法で強調するのは、明らかに特別な意図があるとしか考えられません・・・。(例:「大日本帝國憲法」では陸海軍は天皇直轄と明記されてました。)
 
 
 以上のようなことを、先輩世代は教えてくれました。かれらは戦後生まれの「戦争を知らない子どもたち」であることを自認し、それだけに上記のような理念は失うまいと生きてきた人々です。
 
 今回選挙で、維新の会(改憲勢力)以外の野党が後退したのは、この人々の高齢化=影響力の後退によるものです。 
 
 ベビーブーム、受験戦争、全共闘、猛烈社員、マイホーム
 
 様々な社会現象を生み出し引っ張り、そして長く護憲社会を肯定し続けてくれたこの世代が少しずつ消えていきます。
 
 
 私のような「自然主義者」によれば、急速な生態系破壊をもたらしたのもこの世代であるので、その生きざまは全然肯定できません。始末が悪いことに、こんなにも元気の無い日本のこども社会をつくったことは最大の罪であると思います。
 
 そして、、、ことあるごとに連発される「安全・安心」とは、いったい何を意味しているのでしょうか?
 
 ともかく、結果はどうあれ、何かおおきなものに分れを告げる時が近づいているのだろうと感じます。