びーすけ工房でひとやすみ

思うことをびーすけ工房からお送りします。

八ヶ岳の風景

 高校一年生の秋11月上旬、文化の日に絡めた連休にクラスメイトのH君と二人で、はじめて南八ヶ岳に登りました。
 
 上空に冬を感じさせる寒々した雲が流れ、粗末な登山装備では凍える感じだったのを今でも覚えてます。
 
 長野県の茅野から入山して、柳川上流の南沢から行者小屋を経て赤岳頂上に出ました。
 
 中学生までは西武秩父線で秩父や奥武蔵などに入ってひとりで日帰り山登りばかりしてましたが、3000mに迫る高さははじめてでした・・・
 
 
 以後、大学時代~、就職後は部顧問としても八ヶ岳を訪れましたが、意識に張り付いてるのはこの最初の登山です・・・。

 
 どのような人間にも「一生の歴史」があって、記憶や様々な記録によって語れますが、
 
 さて、「人生の結論」とはなんだろうか?
 
 と、
 
 老齢に行き着いて自分なりの整理を考える・・・
 
 前話にもかぶりますが・・・
 
 
 先日、数年ぶりに清里に行って八ヶ岳を眺めてきました。

 八ヶ岳は南北の山塊に分かれて、比較的穏やかな「北八ヶ岳」、急峻な「南八ヶ岳」と呼ばれてますが、山梨県清里側からの山容がもっともアルペン的迫力を見せてます。
 
 ただし、登山という立場からは、この風景より幾つもの登山ルートをたどれる魅力があることで、遠望は雲がかかりやすいこともあって、実は私自身清里側からの風景にあまり関心がありませんでした・・・

 この歳になって、、、
 
 何故か、写真で見る南八ヶ岳に魅せられて、
 
 そういえば「風景としての」八ヶ岳、“感じてないなぁ”
 
 と、
 
 美しの森~飯盛山、平沢山、、、清里近辺のハイキングコースをたどりました、、、
 
 天候不順のこの秋、10月好天日ピンポイントで車を走らせて、車中泊からめて、やっと晴れた南八ヶ岳の東側展望に時を過ごせました・・・
 
 八ヶ岳山塊が広大に広げる裾野、かつてこの裾野の頂点は富士山をも凌ぐ巨大な独立峰であったと、、、
 
 それが
 
 大爆発で吹き飛んだ頂上部稜線を造形し、爆裂火口の向こうになだらかな高原台地が広がる~
 
 逆にその台地に立てば、巨大な風景が“簡単には表現できない事実”を感じさせてくれるような
 
 「登る登山」は人間の性(さが)としての滅亡(たどり着けない真実)的行為
 
 「眺める登山」は“たった一度の生”にのみ与えられた哲学的恵み。
 
 前者は苦しみ、後者は平穏にみちびかれる・・・

70歳定年

 ついに、こういうことが出てきました。
 
 賃金と労働の関係でいえば、70歳まで正社員扱いということになれば、給与も安定し、財政的にも所得税源泉徴収もできますし、年金財政にも安定材料になります。
 
 雇用される本人が人生の終盤の過ごし方として納得できるのであれば問題はありません。
 
 元来日本人は“働きアリ”気質であるので・・・

 
 「60歳完全退職」した私の経験からすると・・・?
 
 現在は8割以上の人々が「定年退職後再雇用」を選択し、65歳、さらに非正規で70歳くらいまで雇用継続する人が多いかと・・・。
 
 少し前に「老後貯蓄2000万円」問題?という話題があって、この数字の前後の部分で勤労者を不安にさせる作戦が労働市場に投げ込まれ、、、、
 
 ともかく、かくして「60歳定年」というスイッチポイントは勤労者から外されました・・・死語
 
 
 ここから先は私個人の話になります。人間は千差万別で、心身様々な個性、生活条件ありますから、誰それ“これが基準だ”というものはありませんので、人の人生をあれこれ評価することはできません。
 
 ただし、人間も生きものであり、生活に資するものの準備は日常的に必要であるかと思うので、これは老若男女関係なく生まれた以上一生背負います・・・。
 
 その準備のための意識は少年期、青年期、壮年期、そして老後も、、、
 
 一生、自分とのたたかいです。
 
 そして、残念ながら、悪い表現ながら、ぼんやりした勝者敗者のレッテル貼りが行われます。
 
 どこから勝者でどこから「敗者」なのかは、人それぞれの主観なのですが、
 
 たとえば国家が戦争をはじめてしまえば、“お盆をひっくり返す”事態になって、民主国家であれば、これは政治の責任なのではなくて、「敗者の群れのやけくそ」がその原因であると歴史が物語っています・・・
 
 実は、最近の世界情勢を見る限り、勘違いしている政治家の声が目立つので、つい心配になります。何事にも「やけくそ」は良い結果は招きません・・・
 
 
 ・・・話を70歳に戻します・・・
 
 「健康寿命」の値、
 
 生命寿命ではない “肉体的に制限なく自由に過ごせる寿命”のことなのでしょうか。こちらの値の方が“人間らしく”生きられる時間と考えていいのかと。
 
 2022年データ 女75.45歳 男72.57歳
 
 この数字から思うことは、定年70歳がセットされると、雇用労働から解放されて、“自由”になっても、平均3~4年くらいで健康寿命になってしまいます。
 しかし、現状見る限り、労働人口激減で70歳過ぎても非正規雇用で重労働に従事している人々が町中で頑張ってます!
 
 ・・・・・・・・・・・・・・
 個人的話になります。
 
 60歳完全退職して、2年後から年金受給者になって、1日24時間が自分の裁量時間になって、年金と毎日出ていく生活費を家計簿で記録して、収支がトントンになるような節制的な生活を過ごしてもうじき10年・・・
 
 この10年は、賃金労働のため職場に縛られた40年間と比較して何が違うか?
 
 冷静に振り返ってみると、、、あまり変わらない・・・

 強いて変わったことといえば、、、
 
 「賃金のための労働」から、自由な労働に放たれたこと
 
 「自分を含めた家族が生きるための労働」から、自分の精神のための労働獲得
 
 
 多くの野生生物を見る限り、この後者の労働は人間だけの特質か?
 人間以外の生命には「賃金労働」など存在せず、生命としての「本能的労働」のみに生きているのか?
 
 
 普通「賃金と労働・利潤・税」の関係は社会科学的テーマになりますが、
 
 科学を分業化させずに考えれば、人類が考案した資本主義もそのメカニズムをモデルにして自然界を凝視すれば、他の生物にも“税金”はあるのだと思えます・・・
 
 
 お疲れ様です。本日はこの辺で終わりにします。
 
 退職から10年、、、
 
 いろいろ自由に頼まれ仕事を楽しみながら
 
 ブログにこんな愚にもつかない考え事を“うさばらし”できるのも、「雇用から解放された自由」に甘えられるからだと感謝しています。

次の天皇制は・・・?

 誤解を招きそうなタイトルですが、“そう思う人”は、そう思って頂いて良いかと思います。
 
 歴史を遡ってみると、幕末から明治の大きな社会変化の「はしら」として、対外的に日本の自立性を明確にするために、有史以来、海外から日本に入り込み、日本社会を動かしてきた様々な文化、宗教等を外化して「日本の純粋化」作業をして、「近代の天皇制」を国民に強制することになりました・・・
 
 これを世界にも認めさせる「大日本帝國憲法」を発布し、同時に国民に対しては「教育勅語」公布によって少年期から“天皇絶対性”天皇の神格化を国民精神の柱にしました・・・
 
 このスタートアップが、その当初の目的性に問題があったかどうかはいろいろ議論がありますが、その歴史的結果を事実として受け止めるとすれば、その半世紀後の結論、事実・・・
 
 国民、軍人300万人超の戦死者を出してしまった、、、
 
 しかし、戦争の実際は“日本だけが悪”ではないと・・・
 
 そして戦後は戦勝者アメリカに支配されて、その“同盟国”だと普通にいってしまう総理大臣を選んでしまう・・・
 
 新憲法(日本国憲法)で天皇の利用価値を認めたアメリカによって天皇は国家の象徴として残りましたが、否定も肯定もしないあやふやな国民性が残存してきました・・・。
 
 
 しかし、ここに来て、「天皇後継問題」が発生して、その“しくみ”をめぐって「皇室典範改正」を実に不可解な中身で政権与党が強行採決で実に非現実的な絵を描いたことで・・・
 
 圧倒的な「愛子天皇待望論」に火がついてます
 
 そもそも「天皇制廃止論」も不確かですが存在してます。
 
 この問題は現政権の血迷った悪手で混迷しそうですが、あまりに白けたことになってしまうと、結局廃止論も目覚める可能性が大きくなるかもしれません・・・

人類は救える

 ヒマラヤの氷が融解して山麓の村々を押し流して多数の人々が土砂に飲み込まれ・・・!
 
 日本でも今まで記録されたことのない天候状況、劇症的な巨大地震、火山噴火、夏の太陽を遮り降り続いた雨、洪水災害・・・
 
 昨年来、いくら時がたっても不安定な世界各所の戦争、戦闘・紛争状態、、、不安定な世界経済状況
 
 日本も指導者交代するも何やら怪しげな政権運用の裏側・・・
 
 政治経済面、文化面、スポーツ 各分野で戦後日本の発展と平和を演出してきた著名人が次々亡くなり・・・
 
 あらゆる分野で世代交代が進み、情報手段も全地球的に発達して、
 
 そして、コンピュータがついに意思を獲得して、人間に指図する状況が個人の情報機器にも入り込みました・・・。
 
 
 地震、雷、山火事、暴風、大雨洪水
 
 気候変動という括りで囁かれる人類未来への危機感

 
 かつて、
 
 個々人の人生時間は、時々、日々 月々 年々 季節の循環が生み出す自然現象につつまれて、喜怒哀楽もその光と音が誰の生命にも平等に降り注いで、感情も理性も確かに目的性をもって生きる意味も与えられてきました・・・
 
 
 キリスト教歴2026年10月!
 
 
 ここ数年世界中で、この周期性のある“やすらぎ”が破壊される出来事が連続的に発生していて、
 
 日本でも数年続いている災害が、さらに予想を上回る攻撃的な様相をおびてきている・・・この事実、現実・・・
 
 世界の愚かな指導者たちが紛争、戦争を手段にして“小さな自分たち”だけが満足できる環境を独占しようとする愚行に走り、
 
 ここ日本でも80年前の愚かな敗北から紛争、戦争放棄を誓った筈なのに、再び同じ過ちの道を正当化しようとする、“感情化する思慮”をもって人を攻撃する人々が指導者になってしまい・・・
 
 要するに、、、
 
 これだけ並べてみると、普通に絶望的な厭世観が世の中に蔓延しても致し方ない状況・・・
 
 です、、、
 
 自分も70代を迎えようとする現在、先に旅立ってしまった“希望の人々”の足跡を、様々なメディアを通して振り返っている日々ですが、、、
 
 その“残されたもの”を文字表現や映像等々で確認すると、
 
 涙腺が刺激される時があります
 
 自分にもこの世を去る時が来ますが、それが瞬間でも漸進的時間であるにせよ、、、やはり出来る限り後悔はしたくないものです。
 
 後悔はしたくない・・・
 
 
 自分のためだけでない、後悔のない終焉こそが“納得できる幸福”
 
 それを得られたものに救いはあると断言できます。
 
 
 自分の「こうふく」は、すべての物質の意味ある救いによって実現されるのだと感じられます・・・

自衛官の命

 地球上で人類どうしで戦争、あちこちで戦争状態が起きています。
 
 ロシアのウクライナ進攻
 
 アメリカのイラン攻撃
 
 中国と台湾をめぐる緊張
 
 それ以外にも様々な武力紛争が・・・
 
 
 日本は直接紛争に加担はしてませんが、今や決して上手ではない外交ゆえに、不安を感じる緊張をつくってます・・・。
 
 資源を殆ど持たない日本が、このような世界の緊張状態に余計な口出しなど出来ないことは、明治以来の“痛い歴史”を振り返れば明らかなことで、、、、
 
 靖国に足を運ぶくせに、、、
 
 何を祈っているのか???
 
 「英霊」は泣いているのでは・・・
 
 女性初の首相をつとめる たかいちさなえ が、たしか
 
 「台湾有事は日本の“存立危機”になる」みたいな、国会で答弁してしまったことで、
 
 ロシアがウクライナにやったように、仮に中国が台湾進攻した場合、、、それが日本の危機になるとは、日本の行動がどうあるべきかと、、、いうのでしょうか?
 
 ウクライナ戦争から推測すれば、多くの国々がロシアの「特別軍事作戦」を非難し、ウクライナ支援にまわってます・・・が、直接ロシアに軍事的報復に手を出してません。
 
 と、台湾をめぐって中国と日本は同じような緊張状態にはなるが直接戦闘参加はしない・・・
 
 と、理解していいのか???
 
 ハッキリしませんね
 
 先月か? プーチンが「北方領土」に通告なしにはじめて来訪しました。完全な示威行為ですが、、、
 “たかいち失言”に対する習近平も同様に示威発言を日本にぶつけてきました!
 
 米中ロ、大国どうしは直接大戦争などしません、、、、。金儲けができなくなりますから
 
 それぞれに引っ付いてる“衛星国”間の利害、領土問題、民族問題等々を発火させて、戦争状態を作り出します・・・
 
 日本は間違いなくその衛星国の一つに過ぎません!
 
 沖縄県知事もアメリカ軍にひっつく人物に代わりました。
 
 これも事のはじまりでしょう
 
 マジで
 
 中国がある日、台湾進攻したら、最前線に近い与那国島や尖閣列島・・・米軍沖縄基地 戦場と化す東シナ海、そして中国が食指を動かす南シナ海も緊張状態となるでしょう・・・!
 
 台湾が戦場となった場合、米軍沖縄基地が反応すれば、果たして「専守防衛」を掲げる自衛隊は動けるのか????
 
 高市さなえが口走った「存立危機」の意味は、当然「日本の存立危機」と解釈されて不思議でなく、ロシアに攻め込まれたウクライナに諸国が軍事支援をしたのと同様に日本もその立場をとる可能性があると、、、みなさん理解したのでは?
 
 
 資源の乏しい日本列島は侵略するほどの価値はありません。
 
 あるとすれば、幕末明治期と同じ、大陸から太平洋に出る、太平洋から大陸に上がる、地理的立地とそこに一億人の“労働と消費の資源”
 
 最終的に中国とアメリカの手打ちで、どちらも損はせず、21世紀の結論が出ると想像できます。
 
 なので、しばらく混乱する時期の間、自衛官がそれにかかわって命を落とすような違憲状態が発生することだけは起こしてはなりません・・・。

 

国民の二つの顔

 人間は哺乳類という動物の一種であるので
 
 その意味で自然界の生態系でのポジションを与えられていて、数万年の年月の中で、本能&思考をツールにして生存と発展を実現してきた、、、
 
 一つの顔です
 
 という誰でも分かっている存在であります。
 
 なのに、分かっていない人々が多いのは間違いありません。
 
 
 「本能」と「思考」を切り離して、「本能」の部分だけを“分解”して、そこに何が含まれるかを考えると・・・
 
 ★生物としての生存欲求と「そのための行動」
 
 →これは地球上の生命体すべてに共通してますね
 
 ★子孫存続の欲求と行動
 
 →これも種の保存のための基本です
 
 
 ということで、生まれて、教育を受けて、勤労者となって、子どもを授かって、家族を構成して未来へつないでいく・・・
 
 ここまでは「本能の属性」といえます
 
 AIで分析してみても、大体そんな回答かと・・・
 
 そして、「思考」もその属性の一部かと・・・
 
 思考も本能の一部・・・
 
 たぶん異議はないかと?
 
 
 ここで疑問が発生します・・・

 
 労働力と経済の話で思うのですが、
 
 21世紀に入って「労働力商品」の非正規化がすすんで、“労働者=家族”のような労働の家族性が破壊されて、時間単位の“縄”に縛り付けて、労働力の部品化が人間の立場を不安定化させて、人権どころか生命否定とも言えるような現実が横行してます。
 
 今日のこの一文は、20年程まえの「労働者派遣法」の改悪の現実を踏まえつつ、、、
 
 ここに来て“裁量労働制”の名目で、気分的に非正規労働者に“自由が与えられる”=メリットを強調するような人間の“善意”に依拠して、結果的に人間の生命力を削り取る画策に他ならない悪だくみが画策されてます・・・!
 
 ここまでが、今の現実の国民の一つの顔です・・・
 
 
 さて、もう一つの顔については、考えるのがとても難しい命題になります。
 難しいことを言い換えると・・・
 「裁量制」を「自由労働制」にしたらどうでしょうか?
 
 すると、ここに“思考”が発生します。思考を本能から切り離すと“自由”が発生します!
 
 私たちは資本主義システムの中に生かされることで本当の意味での「自由」を見失ってしまいました
 
 「本当の自由」というのは実に哲学的命題ですが、分かり安くしてしまえば、“自由な考え”“自由な発言・行動”で良いかと思います。
 
 実際上、これを実現できてない人々がどれ程、存在していることか、、、
 
 人の命を否定するような惨い犯罪が後を絶たないのも、「本当の自由」を実現できない“追い詰められた人”がどんどん増えていることが原因であります。
 
 どうして、、、、こうなってしまったか?
 
 私の答えは「教育の悪魔化」です・・・。
 
 家庭も学校も職場も・・・そして国家も そこで語られることがすべてに愚かな競争原理と異論排除=それが平等な秩序であるがごとき支配メカニズムがあること・・・
 
 そして、そんな人類の愚かさが・・・
 
 今、地球に起きている生存不安の原因だと考えるのは妄想なのでしょうか・・・

びーすけ工房これから

 先日、「びーすけ工房」の看板を外しました。

 商売?かと誤解されると困るので、通りの正面に向けず、車庫の内側に掛けてました。
 
 退職ついでの“ひやかし”で、10年くらいたちました・・・。
 
 外した理由は特にありませんが、看板の上部(車庫の上)は実際の作業場ですので、ものづくりは当面この場所で継続します。
 
 なので“ひとやすみ”の場所も変わりません。
 
 ただし、遊びとはいえ、看板ですから何かしらの意思表示はあったと思うので、なんとなく外すというのも、“こころの変化”なのかなと自分で感じてます・・・
 
 ここ数年、別居してる家族が私のようなモノづくりに少し凝りだして、それが結構丁寧な仕事で、、、、いい加減な私としては
 
 ~うーん、俺のより出来がいいなぁ~
 
 と、正直、、、負けてる、、、感
 
 
 ただし、「ひとやすみ」は、確かもう14年くらい経っているので、
 
 「びーすけ工房でひとやすみ」の“NET看板”はまだ掛けておきます。
 
 思うに、、、
 
 “びーすけ工房的生活”というのは、今にして思えば、結婚してすぐの頃に、“あの秋山さん”が日本人として初の宇宙飛行をして話題になり、「宇宙から地球を眺めて人生観が変わった」と、福島県で無農薬農業従事者になり、2011/3.11東日本大震災後も農村暮らしを継続し続けてました。先月84歳で亡くなられましたが、
 
 宇宙に行くかどうかは別にして、
 
 退職後に心機一転農園生活をする人はそれなりに存在していて、私の家族もここ数年、天候に泣かされながらも、無農薬の自家製作物を収穫してます。
 
 基本、自分で出来ることは自分でやる!

 命令や義務でなく、自由意志で自分の生活を営む
 
 植物、動物を愛でて、そこから頂くものに感謝できる生活
 
 文意の定まらない主張をしつつも、実体ともなう行動を可能にしてもらえてることは有り難いことだとつくづく思うわけです。