びーすけ工房でひとやすみ

思うことをびーすけ工房からお送りします。

敗戦記念日

 負けたわけですから、、、敗戦です。
  
 政治家達が靖国神社参りしてますが、
 
 「死んで靖国で会おう」
 
 政治家達は過去も今も死んでませんから“参加資格”ありません。
 
 死んで、その遺体もなく魂となって帰還した者たち、その家族が、
 
 このような者たちを歓迎しているとは思えないのですが・・・。
 
 政治利用する見せかけの鎮魂
 
 今は天皇陛下も参拝しません・・・。
 
 
 神社というもの、本当の起源を探ると、それは「自然界」にあります。
 
 日本の場合、2000年程前に農耕文明が芽生えて、四季折々、山や川、海、大地の恵み、時に自然の猛威に悩まされながらも懸命に命をつないで、、、それ故に自然を支配する存在への畏敬の念が、未知でありながら確かに感じさせる存在への感謝と、日々の営みの守護を祈る感情が生活の中に形式化されて神聖な祈りの場が生まれました・・・。
 
 このことは、その後、幾たびかの内乱を繰り返しながらも近代まで維持されて、、、、
 
 そして“その近代”によって日本の小さな扉がこじ開けられて、世界征服に血道をあげる西欧諸国の覇権争いと収奪合戦に直面し・・・
 幸いこの資源の乏しい瘠せた列島が植民地化されず、むしろ2000年間、自然から学び取った英知と機敏さによって、列強国に対峙し「一等国」となり得る、そんな錯覚にまで背伸びしてしまった・・・

 
 この間違いの終点が「敗戦記念日」となりました・・・。

 
 本日、正午の時報に政治家達が1分間の黙とうしてましたが、その祈りの本質はなんだったのでしょうか?
 
 300万人以上も死なせてしまった最後の大戦の犠牲に対して?
 
 祈るってどういうことですか?
 
 祈りには自己批判と自戒、そして償いと約束が、それぞれの今後の生存と生き方への覚悟を「内なる宣言」として誓うことに他なりません。
 
 残念ながら、今の世情を見る限りでは、そんな人間の可能性を感じさせるものは見当たりません。
 しかも同時に、人間が間違ってしまっている現在進行形を見る限り、自然から学び、その現象環境を殺戮でなく「共存の哲学」に昇華できるような指導者も存在しないので・・・・
 
 この自然界が次に人間に示すものは何か?と、その啓示がすぐそこに来ているのではと、、、感じてしまうのは私だけでしょうか?