びーすけ工房でひとやすみ

思うことをびーすけ工房からお送りします。

高市早苗と安倍晋三

 この組み合わせにはみなさん反応しているようなので、私も考えました。
 
 思うことは、「ああ、安倍晋三は″寄って立つところ″を失い始めているのかなぁ、もう枯渇してしまったのだなぁ」
 
 ということ。
 
 ″立つところ″についてのこの二人の共通点は、戦争を直接知らず、自分の成長過程でいわゆる左翼的な物事に触れなかったということ。
 ただし、そんな日本人は沢山いますし、例えば日本教職員組合などが反対してきた日の丸強制や君が代反対のような″政治的″事柄に対してはみんな関心ないでしょう。
 この二人の場合、成長過程で接した人たちからの影響、一時期渡米して肌で感じた劣等感、そのようなことからか、明治維新後、近代日本が列強諸国に伍していく時にとった態度こそが正しく、敗戦によって失ったその″精神″を「取り戻す」ことこそが政治の使命と思っています。


 敗戦後、屈辱感を味わいながらも、過去の国家主義的な思考を捨てられなかった戦犯生き残りのような政治家達は、たとえれば敗戦は第二の明治維新的な発想で、今後は親米で相手の武器と経済を学び、再度富国強兵して、いつかは相手を追い越す・・・
 
 これですね。
 
 でも、もう過去の政治思想になってしまった
 
 なのに、この二人はまだここから離れられません。
 

 河野太郎などは、現在の憲法でも、「この国」を外敵の直接的武力攻撃から守るのに自衛隊が戦闘行動をとることは問題ありません。と語っています。
 
 殆どの国民の常識かと思います。
 
 ただし、「直接日本の国土」に関係ない地域での戦闘行為に、間接的に日本の″存立危機″に関わるという理由で、海外の軍隊と共同して戦争に参加するのはどうなのか・・・!?
 
 安倍晋三がこの「集団的自衛権」をごり押ししたのも、アメリカからの要求と、″相手の武器を知れ・・・″という祖父の代からのねじれた武力国家観=岸信介の亡霊から逃れられず、折しも劣等感の固まりでうごめくネトウヨ達も水を得た魚のようコソコソ応援してます・・・。
 
 ただし、、、
 
 恐らく、このような思想傾向の人が権力の座に就くことはもうないでしょう。
 
 
 今年は、そのとどめさす、第2の敗戦の年となりました。
 
 明治維新から敗戦まで77年。気が付けば、その敗戦から来年で77年。
 
 もういいでしょう。日本国憲法の第2の誕生を迎えても、
 
 
 ネットで手に入るので、日本国憲法の全文を読んでみました。憲法学者ではないので、難しい解釈は出来ませんが。
 
 ″理想に過ぎる″的な批判、改憲論あります、
 
 当然でしょう、日本国憲法の理念を完全に実現している国など世界中どこにもありませんから。これは非戦9条だけでなく、骨格となるすべての条項でこの理念が、、、前文に「崇高な理想」という言葉があります。
 
 つまり、人類史的課題のことです。
 
 占領軍からの″押し付け憲法″と叫ぶ人がいます。
 
 その押し付けた相手自身が実現できてない目標です。

 他の国は頻繁に憲法改正しているという人もいます。

 だと思います、その憲法が不完全で大前提を持ってないからです。


 
 我が国は、国防上最強の武器を持っています。それは外交上でも最強の武器です。

 

 アメリカに対しては、

 「あなた達が日本に与えたものでしょ!」と、
 その一言でたたかえます。77年前の古びた武器でたたかえるでしょうか?

 いや、近隣諸国はその77年前の歴史で今でも日本を攻撃してます。

 

 その中国に対しては、

 「過去の過ちは未来への道標でしょう。私たちはそれを憲法に掲げています。領土問題も、その未来に託しましょう」と、
 その一言以上の答えがあるでしょうか。
 
 
 と、
 
 
 さて、第2の敗戦の次にくるものはなんだろうか?
 
 
 人間の私利私欲で幾度も破綻した歴史、その愚かしさをこの敗戦に学べれば、次なる理想が見えてきます。
 
 これまで、人類は自然とたたかい続けてきました。人間同士の戦争の結末同様、どこにも勝者はいません。
 
 いよいよ、憲法改変の必要が生じるとしたら、人間が人間も含むこの自然に対して、「崇高な理想」と、それを具体的な行動に示せるかにかかっているのでしょう。この相手は、人間など遥かに超えている相手であることを知るべきです。
 
 
 実は、自民党総裁選の裏側にはそんな壮大なテーマもあるのかも知れないと思ってます・・・。