びーすけ工房でひとやすみ

思うことをびーすけ工房からお送りします。

伝承と科学

 人間には″忘却″という性質があります。
 
 日本人などは″嫌なことは忘れる″、″水に流す″という、得意技まであります。
 
 一方、どうし様もない不可抗力な大惨事、または自分達の犯した重大な行動などに対して、それを記憶しようという理性もあります。
 
 
 それが「伝承」です。
 
 伝承は記憶でもあり、それに従う法的拘束力はありません。
 
 結果として忘却が勝る人間の習性は、それを″文化財″にして封印してしまいます。
 
 
 一方、劇症的な出来事に直面した″直後″に、何故それは起きたのかの理由を、あらゆる事実を収集して原因究明、そしてこの先の予測まで追究しようとする能力もあります。

 
 それが「科学」です。
 
 東日本大震災の後に見られた人々の態度はこの両者の混在でした。
 
 そして、前者のもつ″大切さ″も人々の意識の中に喚起されました。
 
 
 昨日、Nスぺで
 
 「MEGAQUAKE 巨大地震 2021~ 震災10年 科学はどこまで迫れたか~」
 
 が放送されました。題名のとおり、科学がテーマでした。一応最後まで観ましたが、その科学、新しい発見も紹介されながら、かなり地震予知も進化してる?なぁ、と思わせる反面、登場人物の、、少し自信なさげな態度、、つまりは完璧な予知はまだ無理、、、
 
 
 なので、番組終了後に、自分の中で確信に近い感情が起きました。
 
 「いっちゃ悪いけど、ようするに不確かな予知など、役に立たないじゃないか!」と
 
 自分のなかで軍配は「伝承」にあがりました。
 
 すでに過去に起きた事実の記憶・記録こそが一番正しい。
 
 科学といっても、自然科学でなく、人文科学に重点を置いて、
 
 歴史を正しく認識すれば、今求められているのは、災害予知ではなくて″防災予知″が必要であるという結論。
 
 実際、今東北では、「災害復興」が進められてますが、巨大津波が到達しない高台への住宅移転等々、何時起こるかを心配するより、″起こる必然″を覚悟した上での対策が進んでます。
 
 この災害列島の中で暮らす現実の前では、過去の現実を忘却することなく、そのような防災措置が叫ばれるのは当然で、政治的、派閥的力学で大切な税金が使われてしまうことなく、″その時″に可能な限り被害、不幸を減らすための準備を最優先に考える必要があるでしょう。
 
 谷の出口に集落をつくらないというのは、昔の日本では当たり前の伝承でした。″自然とたたかう″科学は強固な防水設備でこの伝承を凌駕しました。その結果″科学的根拠″の正しさは、明らかな減災ももたらしました。

 しかし、今、それをも凌ぐ大きさの力が人類を脅かしはじめてます・・・。
 
 先日、群馬県八ッ場ダムを訪れました。昔、事業仕分けでダム工事が中断して騒ぎましたが、一昨年の19号台風では、本格運用前の大きなダムが満水となって、利根川下流の洪水を防いだ!と、ダム推進者達の喧伝で下流の住民も″ほらねっ″となってますが、、″冷静な科学者″によれば、これからの雨量を想像すると、利根川に一つダムが増えたからといって、安心なんかできませんという・・・
 
 これは科学の良識の側面でもあります。