びーすけ工房でひとやすみ

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男女別学の怪

 今日の新聞の埼玉版紙面に、県が推進する「男女共同参画社会」の一環として、県立高等学校の男女別学を廃止して、すべて共学化に向けて検討するみたいな記事があり、それに対して県立浦和高校生徒らが反対する主旨の集会を開いたとありました。
 在校生も多くが反対しているとも。
 
 この男女共同参画社会について埼玉県は10年よりも昔から前から取り組んでいて、学校での取り組みとしては、クラス名簿の並びを男子が前、女子は後ろが一般的であったのを、「男女混合名簿」とするなど現場主体で〝小さな改革〝が進みましたが、「現場まかせ」であったため、保守的な男子校、女子高など〃片方の性〃しか存在してないところでは、恐らく何の疑問もなく、問題意識もなく過ごしていたのだと想像できます。

 しかし・・・、

 発言した生徒の意見の中で、
 
 「男女別学に通いたいという多様性を無視している」
 
 という発言があったと記事で紹介されてました。

 
 そもそも男女別学には歴史があって、戦前の「旧制中学校」が戦後学制改革で県立高等学校となる中で、旧制中学は男子対象の学校であったために、これらの新制の高等学校も男子校のまま設立し現在に至ります。同様に、女子の学校であった戦前の「高等女学校」も戦後、県立の女子高校に受け継がれ、この結果男子校は第一中学=浦和高、第二中学=熊谷高、第三中学=川越高、第四中学=春日部高、第五中学=本庄高(現在は共学校)、第六中学=松山高、、、みたいに、県立の男子進学校になって、それと並行して県立の女子進学校も成立しました・・・。
 
 つまり、戦後は公立私立の高等学校が多数誕生しましたが、今問題になっているこれらの「別学高等学校」には、特殊な歴史があって、、、それを伝統とか、何か特別な精神性のような?ものにこだわるのか、、、よく分かりませんが、
 
 先述の浦和高男子生徒の「男子校は多様性の一つ・・・」のような発言は、マズイなぁと思ってしまいます。
 
 学校は性別区別はできない公共的なものなので
 
 見渡せば、現代の企業、役所、その他社会的組織に、男子のみとか、女子のみのようなものは皆無でしょう。
 
 ということで、男子のみとか、女子のみというのは″薄気味悪い″です。
 
 現代の修道院
 
 なので、この生徒の発言はせいぜい「旧制中学以来の伝統的・歴史的な存在価値」の維持も一つの文化である、、、云々 とか、なんとか苦し紛れの文化論的にやらなければ笑われるだけになってしまうでしょう。(ちなみにタレントのカズレーザーさんは熊谷高出身なので、彼の意見など訊いてみたいですね・・・)
 
 そもそも、肝心なこの学校の教職員達は何を考えてるのでしょうか? 男女参画社会の実現については、各現場で小さなアイデアを積み重ねて少しずづ前進させているものと思いますが、男子のみ女子のみでやっていて、それを今後も存続させるのであれば、その納得できる意義を説明できる教育実践を示す必要があって、感情論的な生徒、もしかして保守的なOB達だけの思惑でこの議論が回っているのだとしたら、
 
 まさに、、、〃怪〃としかいいようがありません。