昔、鎌田慧の「自動車絶望工場」というのがありました。
今、自動車工場はもうロボットになってしまいました。
なんか、15年後くらいには、学校もAIとロボットになりそうです。
報道によれば、教員採用倍率が1.2倍まで下がってしまった自治体もあるようで、若い人たちには教職はもはやブラックな職場のイメージが定着したようです。
逆に、すでに退職した私たち世代は、教職のどこに魅力を感じていたのでしょうか・・・。
☆仕事内容について管理職からうるさく指図されず、自分の発想で仕事を進められた。
☆年間スケジュールに毎年大きな変化がなく、その分自由裁量を展開する余裕があった。
☆上記と関連して夏休みのような長期休業を活かして自分の勉強時間が確保できた。
☆上記と関連して、超勤絡みで土日等の部活問題が起きているが、昔は、″自分が好きでやっている″部分が大きく、本務でない部活に血道をあげる教員は、「部活先生」というカテゴリの中で生きていたので、″納得づく″だった。
☆上記とは反対に、″本気でたたかう″気骨のある教員であれば、不本意な部顧問の押し付けは拒否できた。
☆上記のように、教員の個が確立でき、なんでも「組織一体」のような雰囲気はなかった。
☆様々な個が、様々な個性の生徒に向かい合うことで、″あの先生は嫌いだけど、あの先生とは話ができる″みたいに、得手不得手があればこそ小さな諸問題に向かい合える″柔軟性のある組織性″であった。
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上げていけばキリがないのですが、しかし、このような時代変化は社会全体同じで、民間企業も先行して同じような変化をしていた訳で、後を追うように学校もこうなったということだと考えられます。
現在現場で働く教員の3分の1近くが非正規雇用の教員です。学校の中には上意下達の命令系統と、職員間を分断する雇用形態が確立してしまいました。
年間通して自由行動は制限され、仕事を行う場所も、公的研修以外は学校内に制限されることで、残業時間も激増してしまいました。
小中高通して、昔の教員は勤務時間内に終わらない仕事は自宅に持ち帰り深夜まで″自宅残業″をしていました。勿論それは残業にカウントされません。
ただし、それがそれほど苦痛でなかったのは、″全体的な自由な気風″が学校にあったので、やれたのだと思います。
今時、学校は大変なことになってしまいました
学校という物理空間の中で、飽和してしまった時間の中に閉じ込められて、誰もがノルマ的な仕事に縛られて身動きできず、結果として最重要課題である筈の″対児童・生徒″の厄介な問題から逃げて、生徒指導の押し付け合いのようなことも起こり、困難なクラスを弱い立場の教員に押し付けて、経験豊富な筈の教員は管理的ポストに付くなどして小さな職場の最前線から逃げるという現象がはびこってます。
こういうことが知れ渡ったので、若い人たちは教職を避けるようになったのです。
なので、近い将来、学校も自動車工場のようになる気がします・・・。