びーすけ工房でひとやすみ

思うことをびーすけ工房からお送りします。

kdsystem的世界 そして、、、

 
 
 
「指導要録」というものがあります。
 
 
 学校生活の記録のすべてが記入されて、卒業後も定められた期間厳重保管されるものです。
 
 
 成績や生徒の所見を扱うKdsystemも、終点は指導要録システムということになります。
 
 
 ところが・・・、
 
 
 コンピュータを使って教務処理を行い、最終的に「電子指導要録」によって作成された指導要録を運用していた学校で、この指導要録を“手書き”に戻してしまった学校がありました。
 
 
 少し驚いて尋ねてみると、
 
 
「指導要録の電子入力に協力してくれない担任が出てきてしまった」


 との、こと。
 
 
 但し、数字だけ入力の成績処理はシステムを使用しているとのこと・・・
 

 
 それ以上のことは聞きませんでしたが、
 
 
 正直なところ、この仕事をして来た者として、少々、なんというか、ある種の無常観ですね・・・。
 
 
 前にも述べたことですが、学校の教務処理のシステム化は、行政もお手上げ状態で、現場任せになっています。
 
 
 一方、教員の労務管理システムは業者ソフトがあっという間に導入されて、全員が強制されるようになりました。教員の教科指導用に配布されたパソコンは、いつの間にか教員管理ツールに化けてしまったのです。
 
 
 それでも、前世紀から各学校の、エクセルなどで“手づくり”で運用して来た教務管理態勢は、教員の努力で持ち堪えてきました。
 
 
 経験上言えること。持ち堪えられた理由は、現場の教員集団の支持と協力があったからこそであります。
 
 
 前述の学校の例は、明らかに、その協力態勢が“プッツン”したのだと思います。
 
 
 教務IT化は、意欲的な学校では、意欲的な教員がそれぞれ工夫しながら前進している実態があります。これは全体の有り様の一部で、活性化している学校は勉学や部活の勢いと同様に、IT担当者も学校運営を支えるという自負心の中で仕事ができます。しかし、全体に活性の落ちている学校では、「もしかしてやらなくてもよい」事柄は沈没して行きます。
 
 
 そのような学校で頑張ってきた先生の思いを考えると、、、ここでは言葉がありません。学校内外、彼を支援してくれる存在はどこにもいないことでしょう。そして、このような状態が続けば、後継者も消滅することでしょう。
 
 
 kdsystem7開発の目的性が、仕事を遂行して行く上で、担当者とユーザーである教員の交差点にあって、「無理なく情報が流れるようにする」、ことであるだけに、この理念が十分に表明されないままになることは残念です。
 
 
 自分の努力不足がすべてですが・・・。
 
 
 仕方のないことかとも思います。
 
 
 社会全体が、大人も子どももぎゅうぎゅう管理される時代になって、一方的に強制される生活習慣の中で、自分たちの中から構想物を立ち上げて、全員の自発性で協力しあいながら前進するようなエネルギーはもはや残っていない。
 
 
「手書きに戻る」


 それはそれで良いことだとも思えます。万年筆屋さんは喜ぶでしょう。
 
 
 私自身、15年間かかわってきたシステムの一定の完結点にkdsystem7を考えていましたが、公開してみて、どうした訳か、山の頂上に立てたような爽快感がありません。
 
 
 なんと、もっと違うことに時間を費やせば良かったとも思うくらいです。
 
 
 この難しくなってきた時代の、その貴重な時間の中で、何か別のことも考えなければと思うこの頃です。