結論=今の体制の中では解決しない問題でしょう。
バカの一つ覚え=「歴史的にも、法的にも・・・」
言葉の力など、無力ですね。
つまり、国境を越え、人道的価値観や、民族的精神の異なる関係性の中では、「法理」などは無力だということです。
紛争や戦争は、秩序や倫理観も木っ端微塵にして実行されます。あるのは自己都合的な名分だけ。
ただし、あの大戦の頃のように、実際に兵器を用いての戦争になるとは思えません。
その代わり、現状は、気持ち的には殆ど冷戦に近づきつつある状態かも知れません。
冷戦=頭を冷やすための戦争
人類は頭を冷やす必要があるでしょう。
起きていることの殆どは強欲からですから。
神、信仰も自己都合でしか考えられません。所詮宗教とはそういうものですので仕方ありませんが・・・。
本当に神が存在するとしたら、何故人間に殺し合いをさせるのか?
単純な回答=神は殺戮が好きだから
そして、つまりそれが人間の本性であるということでしょう。
こんな“穏やかな”日本人でさえ、かつてとんでもない殺戮を実行したのですから。
それでは、どうする領土問題ということになりますが・・・。
考えて見れば、昨年の東日本大震災で、多くの人々が、何かを感じたのではなかったのでしょうか。
大自然の前に為すすべもなく無力をさらけ出し、奢れる科学技術の恐怖も感じたのでは。
そして今年、経済恐慌の予感や大干ばつ、洪水。情報化が進展したことで、どこの国も問題を抱え、苦しんでいることを人類は共有している訳です。
今起きていることを比喩すれば、わずかな幸福を大勢の人間が奪い合っているのと同じだということ。
これは世界全体であり、一国内であり、一組織内であり、小さな一族の中でさえそうです。
人間の性がそうさせていると諦めれば、もう解決の道はないでしょう。かつてのような殺し合いが再び起こる可能性もゼロとはいえないでしょう。
経済社会がこのように自由のない世の中になった現状を思うと、100年、200年前の人類より現代人が優れているとは到底思えません・・・。
唯一の光は、情報化です。
「巨大な不幸」は大多数の小さな誤解が招きます。「小さな恨み」がアメーバのごとく集合体となって「巨大な実行体」に変異してしまうのです。
網の目のような情報化が、健康的に成長すれば、小さな恨みは小さな恨みどうしの段階で消化されて行きます。最終的には、この地球上の自然環境が誰の所有物でもないことが見えてくるはずです。
実際、両国間の国民一人ひとりの意識、そして相互信頼は情報化の中で可能なはずで、意味ある語学力の育成がそれを実現するでしょう。そうなれば、無知な大衆が一部の策動によってアメーバになってしまうようなことはないと思えます。
ですから、考えられる唯一の道は、情報化社会の健全な発展しかありません。