日々、無意識に生活してますが
私たちはどれだけ周囲の"構成要素"にやっかいになっているでしょう?
今、何が問題になってますか?
実はウィルスではありません。
私たちが一人で生息できなくなりそうなので、その恐怖に怯えているのだと思います。
分かりやすくいえば、私たちは食べ物を自分で作れません。食べ物を作っていると思える産業に就いている人たちだってそうです。
人類は「食べ物を得る共同体」を形成してきましたが、これは、結果として共同体どうしの争いを発生させる歴史に向かいました。
戦争です。
より効果的にライバルを威嚇し攻め、弱らせ、そして抹殺する。
行き付いたのが核兵器
ただし結局それは共倒れ
使えない兵器→核抑止力論→超大国と核の傘
なので、どうしたら、"抑止力の呪縛"をかいくぐって、効果的に敵を弱らせるか・・・
こういうこと、当然支配的立場の悪党たちは考えると思いませんか・・・
そんなのデマだと、現状を信じられますか
人間、究極信じられるのは自分だけです。
これは他人を疎んじろということではありません。どう逆立ちしてアンチエイジングに夢中になっても、"生物である個"は死滅します。でもそれは滅亡ではありません。大きな自然界の消滅と再合成の概念的法則の中の"小さな物語"のひとつです。。。
つまり、生命存在は元々平等であり、さらに今存在している自分自体が意識と認識の主体であって、自分が知りえることのみが、実はすべてである、ということです・・・。
これを自由といいます
考えてみてください。
オリンピックは、争いごとです。
学校教育だって争いごとです。
そして、自己表現の殆ども 争いごとです。
個である自分が、そして個の集合体であるこの社会が、種を守ろうとするのであれば、すべての争いごとを停止せざるを得ないのです。
思えば、太古の思想家達は、このことに早くから気付いていたのだなと、、、
なぜなら、かれらは現代人より「停止」の意味を知っていたのでは思えるからです