″くう″になるです。
人生は概ね三つの展開があります。
青少年期・・・子ども時代
壮年期・・・・一所懸命働いてました
老齢期・・・・定年退職後ですか
今、この3番目の老齢期が外されそうになってます。
人生100年、″一億総活躍社会″
つまり、100年間働けということで、もう人生を三つの展開とはとらえず、最初から最後まで″頑張る″ということで・・・。
少し昔、すでに「自助」という言葉で予告されていましたが、「相互扶助」という憲法的理念は消滅しそうです。
で、思うのですが、
人生は何のためにあるのでしょうか?
日々、日常の中で刹那的に楽しみや喜び、突然の驚きや悲しみ。そのような感情の出入りする暮らしの中で、長い目でみると同じ事の繰り返しを流しながら、子どもから大人へ、さまざまなものをため込んで、その量こそが成功か否かの分岐点のような・・・。
しかし、いずれ、衰え、認知症になったり、やがては忘却によってすべてを失い、そして生命も尽きる・・・。
つまり、無になる。
残念なことに、この無が″最大幸福″であるのかは誰も知りません。
″量こそが成功″なのです
しかし人生目的とはそんなことなのでしょうか・・・結局、無が待っているというのに・・・。
老後を迎えて、思ったことがあります。
子ども時代の楽しかった思い出や、何十年も働いて来たことや、家族も社会も自分の中に蓄積してきたことすべて、そんなものは別に財産でもなんでもないと。
ましてや、終端を恐れて、いつまでもいつまでも″何かのため″に働き続けるとか、そんなことはやめなさい・・・と。
何か、最後に受動的に″無″を迎えるのではなくて、自らの意思ですすんで″空″を手に入れることが、最高の平穏と至福なのではないのかな、、と。そこは、人生と無の中間点、古来より人々が求めてきた、生きることの真理があるように思えます。
糧は生存のための必要十分条件です。しかし最後に手に入れなければならないのは、量的精神世界から抜けて、気が付けば目の前に見える″空″の世界ではないでしょうか。
これは、宗教でも哲学でも妄想でもありません。人はそうなれる生き物なのだと思うだけです・・・。
そして、この世の解決しないすべての″事柄の解″もそこにあるのではないかと思うのですが。