びーすけ工房でひとやすみ

思うことをびーすけ工房からお送りします。

空を探して

 目に見えるものではありません。
 
 巨大な樹木が目の前にあるとします。
 
 その木はどうやって生かされているのでしょう。
 
 答えはそれほど難しくはありません。
 
 地中に広く伸びる根によってです。
 
 
 しかし、根は土に隠れて見ることはできません。その根を見ようとして乱暴に掘り出してしまったら、樹木の生命は絶たれてしまいます。
 
 人間の命も、普段は見ることのできない部分によって決定づけられていて、しかも、日常的にはあまり意識されない部分でもあります。
 

 ″空″は、正にそこにある気がします。
 
 ですから、この話は宗教でも哲学でも妄想でもないと前回書きましたが、極めて物質的な事実の存在するところの話であるのです。
 
 たった一度だけの機会を与えられた分子構造によって成り立つ、限りある瞬間、そしてそれは本来″自由運動″が許された空間であるわけです。
 
 人間である誰もが、そのような時間を与えられている、、、
 
 そこが″空″であると考えられます。
 
 
 五感では捉えづらいけれど、確かにこの大地とつながっていて、そして人間社会とは異なった次元で命を実感できる空間・・・。
 
 そして、生きることの課題は、どうやってその空間を感じ取り、自分らしく表現出来るかということだと思います。
 
 この社会のつまらない価値観を排除すれば、それはどのような表現であっても″ゆるされる″ものなのです。
 
 故に、
 
 空とは「絶対自由」と定義できるかも知れません。
 
 これは人類が登場する遥か昔から、この空間に存在していた法則であると思われます・・・。


 ところで、今の大学生は古典を読まなくなったと聞きます。
 今回こんなことを書いて、昔読んだJ.J.ルソーの「エミール」を思い出しました。確か当時はあまり理解してなかったと思う(長編ですし)のですが、退職して一線から退き、なんか子どものころのような時間を取り戻すと、そこに書かれていたことを思い出すような気になりました。
  これは結局、古典に書かれていたことを、60年を超える人生の終わりの方で、やっと経験的に接近できたということで、本をちゃんと読める理解力があれば、もっと若くして一番大切なことを理解できたんだなぁ~、と、
 
・・・