びーすけ工房でひとやすみ

思うことをびーすけ工房からお送りします。

老後の家計

 高齢化社会で、切実な問題になっていると思います。
 
 週刊誌などで毎週のように特集記事にして読者を誘ってます。
 
 稼ぎのなくなった立場からすれば、年金だけでやって行くことへの不安は当然あるので、どうすればやって行けるかを考えなければなりません。
 
 ちなみ生存権を保障する憲法25条に基づく生活保護費の支給額を見ると、60歳以上の高齢夫婦世帯では、月額15~18万円。単身の場合では11~13万円程度支給されています。単身の方が支給額が多いことに気付きます。単身高齢者が増えていることの実態が伺えます。
 
 一方、自立出来ている高齢者の場合は年金が唯一の収入源となります。これには主に2種類あって、現行の全国民加入義務がある国民年金(基礎年金)は、60歳まで40年間加入していた人で月額8万円(年96万円)、事業者に雇われていた立場の人にはさらに厚生年金が月額14万円(年170万円)程度支給されます。これはMAXなので、実際には殆どの人の支給額はこれより少なく、さらに所得税源泉徴収されてしまうのでさらに少額となります。
 
 さて、お気づきかと思いますが、この金額は生活保護費と大差ありません。
 このことから思い浮かべるのは「江戸時代の為政者の農民観」というやつです・・・。「百姓は財の余らぬように、不足なきように治めることが道なり」 ″生きぬように死なぬように″とも云われました・・・。
 
 自立している高齢者の場合、不動産や高額耐久財、貯金、証券、保険などの資産を持つ人もいます。人によってこれには大きな高低差があると思いますが、それらを維持するための経費をどうするかも悩みとなります。現役時代はほぼ丼勘定でやっていた人が、退職後は家計を気にせざるを得なくなります。特に「後期高齢者」になると医療や介護負担が増えるので、そのことを考えると、″前期高齢者″の段階で″老後の享楽″三昧という訳にも行きません。
 
 
 さて、″老人になっても活躍する社会″とはどのような社会なのでしょうか。
 
 自分のことで考えると、37年間教育公務員を務めてきて、その立場は何かといえば、次世代(勤労者)の育成、そこに付随する″社会福祉的″な業務、行政の末端に位置して社会秩序維持のための行動等々・・・。
 
 これらも″活躍″だったのか自分では何とも言えませんが、退職しても8割が再任用される中で、完全退職してしまうと、これはもう活躍していないことになるのかと・・・、世間は見るのかとも想像してしまいます。
 
 どうも、活躍=雇用状態 ということが定義されているような気がするのですが・・・つまりは、くたびれ果ててしまった人はともかく、まだ余力のある人は、人材不足の状況下で、お願いだから働きなさいよと・・・。
 
 再雇用されると、月収が28万円超えると年金が止められてしまうので、退職前に支給されていた給与額は、退職後は年金額も含めて計算されてしまい、実質半分程度しか給与はもらえなくなります。そして28万超えれば、もらえる年金は容赦なく減額されます。

 ″活躍する人は年金などに頼らない″ =エライ人
 
 国や使用者にとって実に都合の良い仕組みになってます。
 
 ″生きぬように死なぬように″
 

 さて、昨日まで書いていた″空″の話の境地に入ってしまうと、もう違う次元にすすめるのですが、自分自身の思考はともかく、この社会に生きる以上濃淡はあっても周囲の人々と関わらざるを得ません。そういう現実と老後の家計を考えることは、消費するという意味では誰もが活躍し続けなければならないということで、勤労者だけでなく高齢者の消費活動も活き活きとなるような社会制度設計をしてほしいと思うのです。