保有金融資産1億円以上だと富裕層らしいです。全体の約20%くらいです。これをAとしましょう・・・。
一方、保有金融資産3千万以下から資産ゼロの人たちまでの合計で、大体全体の50%くらいのようです。これをBとしましょう・・・。
両者の間に富裕層よりは下の"準富裕層"が存在していて全体の30%程度です。これをCとしましょう・・・。
さて、「格差社会」と呼ばれる今の時代、その格差の上下の分岐点はどこにあるのでしょうか?
結論的にはCの層ところにあると思われます。
ここはかつての"中流"と呼ばれた層で、バブル期の頃まで「一億総中流社会」と、今からすると夢のような日本社会の看板でした。
今、問題となっているのは
Bの層の中には、この層だけに特徴の別の構造的境界点がつくられてしまいました。これは意図的につくられた境界点です。そして、この境界点の下は年収200万円に満たない、つまりまとまった貯蓄が極めて難しい層が形成されてしまいました。
非正規雇用で生活する人々です。
自分が定年退職して老後の生活を見通す時を迎えて実感したことがあります。
正規雇用で35年以上働けた場合、あまり贅沢をせず、子育ても二人までで、目標額を決めてコツコツと貯蓄をしてきた場合、退職金を含めれば確実にBの上位からもしかしてCに入れます。
さらに正規雇用で厚生年金に退職時まで加入した場合は、月額で10万円以上の年金が支給されます。
かつて、一億総中流と表現された時代とは、国民全員がまじめに働き、節度を持って生活すれば、そうなれるという意味がありました。
さて、ところで、富裕層とはどんな層なのでしょうか。どうすればその層に入れるのでしょうか?
答えはありません・・・。
そんな解答あれば、テキストにして、誰でも富裕層になってしまいます。
答えがないというのは、そうではなくて、全ては相対的であるということです。
富裕層がいれば必然的に貧困層が存在するというのが、現代社会の解答です。学校の成績の"相対評価"と同じです。
競争に勝った者が富裕層になり、負けた者が貧困層になる。
しかも不公平なことに、この競争には人生のはじまりの時からアドバンテージがあったり逆にハンデを背負わされたりします。
つまり"勝った"というのは、努力の結果なのでは無いということです。
このことを理解しておく必要があります。
「神様は不公平だ」などという話ではありません。
自然界ではすべての生命に当てはまる原理です。そして同時に進化の本質でもあります。
仮に他の生命よりも自分の能力が幾らか優れているとしても、それは努力などではなく、「突然変異」的変化なのです。それを「進化」と呼んでも良いかも知れません。
格差の分岐点はCの層にあります。
富裕層というのは"金額的多寡"をものさしにして定義されます。
それでいうと、Cの層は富裕層でもなく貧困層でもない。
人間が高等生物であり、今後も種の繁栄を継続できるとしたら、能力的に高いCの層以上が、"仲間である貧困層の解消"ができるかどうかの能力に係っています。
"生物学的富裕層"として、その能力が発揮できないとしたら、それはもはや"不要層"にしかなりえず、歴史的に見てやがてその存在が否定される時がくるのだと思います----。
そしてそれは、富裕層だけが否定されるのではなく全人類の滅びを意味します。