びーすけ工房でひとやすみ

思うことをびーすけ工房からお送りします。

新浪剛史「45歳定年制」の意味

 言葉通りの解釈ではないと思います。
 
 新浪剛史氏のように抜群の能力を持つ人ならではの発想だということです。
 
 そもそも日本社会は大昔から″長い物には巻かれろ″が全体秩序の原理で、それが強みであり弱みでもあった訳です。
 
 近代公教育によって、均質で″優秀″な国民労働力が生み出され、強い「アリ企業社会」の土台となり、高度経済成長が実現されました。
 
 それが、30年くらい前、激しい国際価格競争の時代に突入し、安価な労働力を求めて企業の生産拠点が中国、東南アジア等移り、国内ではいわゆる「産業空洞化」が起こって労働市場にも変化が起こり、国内でも安い賃金の非正規労働者が合法化されて、
 
 こうして、長い物に巻かれた「終身雇用制」が揺らぎ始めました。終身雇用とういう″安定″は、個人にとって人生設計の基盤ですから、それが揺らぐことは、伝統的なアリ社会の動揺を招いたわけです。
 
 
 さて、45歳定年制は65歳定年・終身雇用を否定する話なのでしょうか?
 
 
 実際、定年60歳まで働いた自分の経験では、45歳頃の職場では、部署のまとめ役になる人、一方指示を受けて今まで通りの仕事をこなしていく人と、簡単に言えばそういう違いが出てきます。これはどこでも普通の有様だったと思います。
 ただ、この両者の唯一の違いは、組織の中にあって、問題解決への意志の度合いに差があるということです。

 
 長い物には巻かれろとは、長い物に巻く存在があるということ・・・、
 
 45歳頃に、この関係性を認識し、それに納得する人と、納得しない人に分かれます。
 
 新浪剛史氏が本質的に語っていることは、この厳しい時代状況の中では、組織構成員みんなが、その関係性を打破して、一人ひとりが「納得しない人」になるべし!
 
 ということなんでしょう。
 
 
 そう考えると、終身雇用制を維持しても、全員が経営主体的な意思で動けば、その立場は単なる労働力でなく、経営主体の要素として活きることになります。
 
 実際、中小企業の中には、このような手法によってこれまでにない形態の成長をしている例も出てきてます。
 
 
 コロナ危機の現在、官民問わず、上記のような″意識改革″が行われていない組織では、まずい仕事ぶりが目についてしまってます。
 
 政府も役所も、企業も、自治体も、学校も、地域コミュニティーも、
 
 これまでの″役割分業安定社会″の記憶に甘えず、どんな組織に所属したとしても、自分の意思をしっかり発言、行動し、そのことを自信として正当な権利意識も確立し、
 
 さらにまた、″バランス調整意識″を構成員全体で共有することで、強くしなやかな組織、社会を構築して行く・・・
 
 
 これは理想論でもあるのですが、大切な希望であります。要するにそういうことを言いたいのではないかと思いました。