びーすけ工房でひとやすみ

思うことをびーすけ工房からお送りします。

年頭のおもい

 職業から離れてすでに7年目となり、「自由人」という、羨ましがられる生活?にどっぷりと浸かってしまっていると、「価値観」というものから遠ざかってしまいます。
 
 定年後も再雇用・再任用で職業を継続する理由の多くが、″やることがない″、″趣味では長続きしない″、″まだまだ将来に不安″等々、、、
 
 それぞれの意味、価値は存在しているように思えます。
 
 確かに、賃金労働に縛られない自由というのは、贅沢で恵まれた状態で、その人生はラッキーなのだと云われるかもしれません。
 
 正直なところ、自分自身もそう思ってました。
 
 幸せなことだと
 
 なのに
 
 
 なんだろう、この感じは、、、
 
 はっきりしているのは、コロナとウクライナ
 
 に象徴されるような・・・
 
 
 世界を巻き込む混乱や未解決な問題は以前からもあったのですが、おそらくすべての国々、マスコミ、SNS、企業社会、地域社会、教育、子育て、、、
 
 これほどに劇的に不透明さ・不確実さが世界を覆いつくしたのは人類史上でも久しぶりなのではないかと。
 
 過去を振り返ると、それらは世界大戦とか、何とか革命とか、必ず一区切りのピリオドがある、歴史の出来事として断片的に教科書に記録されたりしてきましたが、
 
 現代
 
 手のひらの端末で、全世界の包括的、抽象的、同時に個別的・具象的な事実が認識できるようになってしまって、、、、
 
 もはや、人間が生存するためのあらゆる制度、組織、法律、方式などなどが、もはや必要的な意味があるのかと、単純に感じてしまう・・・
 
 キリスト暦2023年
 
 私たちの日常の営みが包括的に破壊、否定されるような、終末的なことは起きないだろう!
 
 と、断言できないのではないか
 
 
 こういう文章を書いても、必ず嫌われ、無視され、変人扱いされるのがセキノヤマなのが人間社会の常ですが、
 
 今、ニュースなどで報道される人権、人道にかかわり、それをめぐって右だ左だのような議論は、自然界の中に並べてみると、そんな議論自体が馬鹿らしく思えるほどで
 
 勿論、「人間の社会性=生存の糧」において、それは不可欠なもので、自由人などとほざいている自分もその恩恵のお陰で生きていられる
 
 とは、当然理解した上で、
 
 やはり、「恵まれた自由」を過ごしていることで、″それに縛られていた頃″には考えなかったようなことが意識の表面に出てきているので、、、
 
 これは、「社会性の意味こそが人間存在の意味」と心底納得している人には、到底理解しがたいことなのかも知れません。

 しかし
 
 その社会性にどんなに裏切られ、苦しめられても、行動せず、声も上げられない大衆の現実・・・
 
 それでも、自由などは幻想で、単に運がよく、社会的にうまくやった奴の鼻持ちならない″左翼的″なたわごとだと・・・
 
 と、
 
 安倍晋三が命を落としてから、その後、いろいろな実態が分かってしまって、「ネトウヨ」とか呼ばれていた人たちが見えなくなって・・・、
  
 誰も喜んでません
 
 アベノミクスにすがって生存の糧を信じた人々すべてが同類ともいえます
 
 そして、昨年から年を越し、なんと、国が危ない=国民の命を守る必要がある→そんなことになる前の″先手必勝!!″
 
 結局そうなってしまいました
 
 この局面、無力な自由人はガックリと首を垂れるだけで、何もすることができません
 
 やろうと思っても、周囲を見渡せば、のっぺりとよどんだ無風の水面だけが見えるのは私だけなのでしょうか・・・
 
 次にそこに流れてくるものが何なのか、想像もできません