びーすけ工房でひとやすみ

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憲法と天皇

 歴史上、日本の2つの憲法はどちらも条文トップに天皇の規定を書きました。つまり、どちらも天皇の地位は憲法によって定められました。
 
 旧憲法では「神」、現憲法では「象徴」として・・・。
 
 西洋社会では、国王は「王権神授説」によって、王は神ではなく神から王権を与えられた存在と規定しました。なので、王であっても神から破門される存在でした。
 
 日本の旧憲法では、天皇は神であるので誰からも否定されない存在であったのです。
 
 実は、現憲法でも天皇は否定されません。「国民統合の象徴」である天皇を否定することは、「日本式国民主権」を揺るがすことになるからです。
 
 
 天皇について、新旧憲法の″根本的相違点″は何でしょうか?
 
 
 実はありません。あるのは同質性だけです。
 
  
 新旧ともに、天皇憲法に忠実であったのが答えです。
 
 昭和20年の敗戦まで、天皇憲法に忠実に神の座にありました。「現人神」(あらひとがみ)という「抽象概念」に漂い、時の権力にいいように使われ続けたのです・・・。
 
 戦後、昭和天皇が戦犯を免れたのは、あたかも天皇のその人柄によってみたいな話がありますが、ばかげた話です。重大な罪を犯した人間が、誠実で正直者のパフォーマンスをすれば許されるレベルの話でしょうか・・・。
 
 その存在が責任行為の実行的存在でなく、憲法上の規定によっていたということがはっきりしていたからで、その存在は憲法によってどのようにも変容すると理解されたからです。
 
 
 そして、「平成の天皇」は、憲法上の規定によってどのように時代を過ごしたのでしょうか?
 
 現在「上皇」となって、いつか自ら話をすることもあるかも知れません。是非、自らの言葉で語ってもよいと思います。
 
 
 勝手に想像するのは、天皇として、「日本国憲法」に書かれている理念に従う。それが天皇として″生きる″存在の義務であったと語られるのではと思うのです。
 
 つまり、日本が立憲制になって後、天皇憲法に従って時を過ごしたのだと・・・。
 
 
 そのように考えれば、平成の天皇が歩んだ道、国民と接した時間の意味、そして願ったこと、祈ったこと、そのすべてが「日本国憲法」の理念に合致していたことは、誰にでも理解できることです。