先月故人となったイスラエルのシャロン元首相が、2000年9月28日、エルサレムのイスラム教徒の聖地「岩のドーム」を訪問し、エルサレムはイスラエルのものであると公言しました。
積年、幾度となく和平が追求された中東紛争の火種に、再び油をそそぐ行為でありました。
今日、決定的出口の見えないまま、事態は混迷し、幼い子どもを含む罪の無い市民を巻きこんで、毎日、その命が奪われています・・・。
聖地を侵す行為・・・。
民族の魂が否定されるような、屈辱的な事件だということです。
それほどに、指導者の宗教的行為には影響力があります。
さて、日本の神社は聖地であるかどうか、議論は分かれますが、少なくとも靖国神社は「英霊」が祀られているということで、「聖地あつかい」です。
日本には多種多様な神社が存在していますが、起源もはっきりしない神秘的な神社と、時々の権力者の都合で創建されたものなど、とにかくひっくるめて神社と呼んでいますが、靖国神社は、その後者に分類される神社な訳です。
国策による戦争にかかわった人々を祭神としていて、明治以後の国家神道政策の中で、特に戦争犠牲となった国民の、その「魂」を祭神と一体化させて聖域化している神社であるのです。戦争で命を失うという恐怖を超越するために、死んでも神に昇華されるという慰めを保証しています。
「死んで再び靖国で会おう」
イスラム過激派の自爆テロも同じ考え方で実行されています。
さて、
明治憲法では、“天皇は神”と規定されたので、ヨーロッパのようなGod Save the Queenは必要ありません。教会と国王のような関係性はなく、神そのものである天皇は現実世界の有り様によって否定されることはありません。
こういう憲法をつくった伊藤博文は心配症だったのだと思います。
その心配症が仇となって、彼は「異国の地」で殺されてしまいました。
分かりやすく考えて、現代世界の人々は、多神教のような日本人の神社信仰を否定することはありません。同時に、「唯一の神」を信仰する彼らが、日本の天皇を彼らの神ととって代わるなどということも考えられません。
日本の神社のことなど無関心な彼らが、今、その日本の宗教に関心を持たざるを得ないのは、
それが「靖国神社」であるということであります。
昭和になって、「八紘一宇」という日本書紀から援用された言葉が、日本の戦争を肯定する思想となって、天照大神の子孫、すなわち神の子である天皇が祭る神社、戦争をささえる国民の命と死、そしてその魂を神とするための施設、、、靖国神社
これは無くてはならない施設であった訳です。
「八紘一宇」とは一つの屋根の下に天皇がこの世界を支配するという考えで、当時、当面の目標は「大東亜共栄圏」の実現、そして、究極的には世界を支配しているキリスト教文明国家との最終戦争に勝利し、八紘一宇が完結すると、学校でも教えられました。
「教育勅語」を諳んじていた大正生まれの母は、この教育を受けていました。
戦後教育では、教育勅語の暗誦などしません。当たり前なのですが、しかし、むしろやっても良かったかも知れません。
戦後生まれには教えなかったことで、現在の日本人には、この辺の事情についての歴史認識が失われました。
そういう世代が今、政治をやっています。
近い将来、欧米主義と中華思想の大決戦があるかも知れません。
戦後、日本人は、どちらにもニヤニヤ笑ってはきましたが、実は、どちらの側にもアイデンティティ、帰属意識を持ちたくありません。
しかし、近い将来の大決戦を前に、これはマズイことだという認識があります。
その認識の向こうにある結論が、「第三極」としての日本の立ち位置を目指す・・・。
どちらにも与したくない。
じゃあ、どうするのか?
そのためのアイデンティティ、「日本を取り戻す」、靖国神社に行って取り戻す、、、ということだと、誰でも分かる答えとなります。
この神社の祭神を守護するには、その後背に、毘沙門天のような強力で実効的な武力が必要であるということです。
これは経済の話ではありません。宗教の話です。
詰まるところ、指導者というものは、最後は宗教に答えを見つけるしかない生物なのです。