びーすけ工房でひとやすみ

思うことをびーすけ工房からお送りします。

天皇というもの

 先日、大嘗祭があったので、少し考えました。
 
 まず疑問。
 
 皇室の先祖神は伊勢神宮に祀られる天照大神であるので、本来的には伊勢神宮で代替わりの神事を行うべきではないのでしょうか?
 
 たぶん、天皇の歴史は長く関西にあって、殆ど奈良~京都が本拠で、伊勢からは距離があるため、大嘗祭の際本人は都にいて、伊勢の方角に対して祈願したようです。神が降臨する山の奥宮と、人が祈る下界の里宮のような関係でしょうか?
 
 しかし、
 
 150年ほど前、

 明治政府は、政治的都合で徳川の城跡に強引に天皇を移したことで、政治と神事を結合して天皇制国家を旧憲法で定めました。
 
 徳川の影響の残る江戸を力で抑え、同時に尊皇の余燼くすぶる京都から天皇を引き剥がして東に遷都し、以来、天皇は近現代日本の権力支配の象徴として東京にとどまることになりました。
 
 日本人以上に日本を研究していたアメリカはこのことを重視し、戦後も象徴天皇制を存続させました。
 
 学者達は旧憲法は君主憲法で、現憲法は民主憲法だと説明しますが、これは本質的には間違いで、アメリカは天皇を利用して日本の統治を完結させたのです。君主も象徴も大してかわりありません。
 
 
 30億に迫る金額が大嘗祭に使われたことに疑問が起きてます。
 
 
 今、この国の庶民は1円、2円の生活をしています。大幅な増税に対して、現金に代わる微小なポイント獲得に奔走する日々です。
 そのような生活を従順に我慢し、″ささやかな幸福″実現、これを政治家は「身の丈に合った」と表現しましたが、昔よく使われた「上見て暮らすな下見て暮らせ」と同義です。
 その上の限られた人々が、総理大臣の音頭で集合し、税金をつかって盛大に酒盛りをしています。
 
 これらのことに、″何も言わない天皇″は人形のような存在です。
 
 この人形が横に立っているだけで、その隣にいる″指導者″に対して国民は何の文句も言いません。
 
 「人形」という表現は″不敬罪″にはなりません、「人の形をした神」という意味ですから・・・!
  
 
 誰が得をして誰が損をしているというような価値判断でなく、「この空気」によって静穏に統治されるこの国の有様が、″何となく心地よい″国、ニッポンということなのです。
 
 この間ニュースで騒がれている問題を追及する側が本気で「この本質」をひっくり返そうとしているとは思えません。
 
 世界のどこに真似できる、これ以上に巧妙な統治システムがあるでしょうか・・・?

 
 唯一の懸念
 

 このシステムが世界的な殺人行為に走るのではないかという不安
 
 
 故に、アメリカは第9条を憲法に入れました。
 
 
 それだけが異なる点です。それ以外をみると、少し国民に優しい内容が加わったぐらいで、国家体制の基本エンジンは旧憲法と殆ど変わりません。