びーすけ工房でひとやすみ

思うことをびーすけ工房からお送りします。

実験国家

 この言葉は何度も使っているので、くどいのですが。
 
 
 国家という言葉は、近代欧米用語ですが、そういう時代スケールの中で考えると、今回は4回目の実験段階だと思います。
 
 
 そもそも、人類というものを客観的にとらえて、それを操作しはじめたのは欧米人でしたから、その意味で日本が最初に試されたのは安土時代に京都にキリスト教が持ち込まれた時でした。旧弊を破壊しようとした信長が触媒となったのですが、その実験結果は約半世紀後の鎖国でした。新大陸では瞬く間にキリスト文明が侵略を完成させたのとは対照的の結論が出ました。
 この2世紀に渡る鎖国は、同時期に拡大膨張した世界文明の反証的な実験で、その体制下で3000万人以上の国民が養えた実験結果は、地球的に閉塞している現状に、ある種の資料を提供しているかも知れません。
 実は無宗教であった江戸時代という興味から・・・。
 
 
 帝国主義段階に入っていた世界が、極東の列島国家を無視できなくなったのは、中国の前近代史が終焉を迎えていたことと無関係ではありません。つまり、それは大帝国清の存在が、日本の鎖国環境をつくっていたとも言えます。これは次へのキーワードになります。
 
  
 さて、2回目の実験は、いうまでもなく日本の近代化です。アジア的社会に欧米のメカニズムを移植させた場合どうなるかという興味。
 結果は、近代という意味で後進であったドイツやイタリアとともに、結果物を廃棄させられるみじめな結果となったのですが、これは同時に、かつて鎖国をささえたアジア的秩序からも軽蔑され、それは70年後の今日でも怨嗟となってしまった。
 
 
 3回目の実験は、いうまでもなく「平和憲法」です。
 このような大胆な発想の実験は日本以外では出来ませんでした。無宗教というのは、極めてクリーンな培地でありました。天皇制という日本の伝統は、そのような都合のよい環境を提供してくれるのです。
 
 
 この3回目の実験は、「福島第一原発の爆発」という結果で終わりました。それがなければ、歴史的に繰り返す記録的な自然災害の一つであったのですが、この列島に課せられた人為的実験装置が、この結果を私たちに見せつけました。
 
 
 今、福島では、解決不能放射能汚染を拡散する状況下にあります。これをどのように解決できるのかという4回目の実験段階に入りました。私の予想では、この結果が出るにはなおさらに70年の年月が必要なのだと思います。


 そして、今考えるのは、国民が選んだ「日本を取り戻す」という、自分たち自身で「純国産の実験」をしようとしている? 
 
 その方向性の真実はどこにあるのかということです。


 400年前に、欧米からみれば中国の属性に過ぎず、鎖国がゆるされた日本が、今その欧米と中国の狭間で、何を選択できるのか?
 
 
 そのような意味で、この4回目の実験は、単に核エネルギーの結論ではなくて、長きにわたった人類史の最終結論を導き出す実験になるのではと考えるのです。
 
 
 こういうのは空論なのでしょうか?