勝手な造語です。
今年のNHK大河ドラマ「八重の桜」で、ここ数回、戦闘激しかった戊辰戦争での会津を描いています。
白虎隊の悲話で、誰もが知っている会津戦争ですが、今回のドラマを見ていると、何故か腹立たしくなる演出が随所に出てきます。
この演出は、何か意図があるだろうかと思った人も多いのではないかと、そんな気がしてしまいます。
そもそもストーリー前半は、攘夷派台頭する幕末京都を舞台に、幕命に従う主君松平容保に忠誠を尽くし、新撰組との関係も好意的に描きながら、会津に親近感を持つ孝明天皇の威光を背景に活躍する藩士達の青春群像的なドラマ・・・。
時代劇としては、薩長主軸のストーリーが多い幕末劇の中で、本当の忠誠は会津にあったのだと描きながら、狡猾な岩倉具視の登場と直後の孝明天皇の謎めいた死と幼少明治天皇の影。そして、“軽率な”勝海舟が西郷隆盛を倒幕に方向付けさせ、一気に会津は「朝敵」に追いつめられて行く・・・。
主君がその一命をもって“官軍”に恭順すれば、会津の悲劇はなかっただろうと思わせるストーリー展開の中で、現実主義からどんどんと遠ざかる主君に疑問を持たずに死を選んでいく会津の人々。
日本歴史と天皇制は前にも書きましたが、近代天皇を担いだのは陸の長州、海の薩摩。
陸軍の重鎮となり、議会制が起きてくる時代まで強い影響力を誇った長州の山県有朋は戊辰戦争に参加し、抵抗する会津をどう思っていたのでしょう。その後の山県について、教科書では近代軍国主義の中心にいた軍人政治家と描かれています。しかし一方、対外政策においては中国への強硬的政策には否定的であったともいわれています。幕末維新を経験した近代初期の政治家には、戦略とか戦術というような、単なる戦争の見える部分以外のものも見えていたのかも知れません。
その山県らが世を去り、維新の元老の影響力がまったくなくなった1930年代、日本は何を勘違いしたのでしょうか、天皇への絶対的忠誠の下、まるで会津戦争をコピーしたような絶望的戦争に突進し、国民に死を強制しました。
さて、戦後、
政治家の多くは戦争を直接、間接体験した世代でした。あの幕末を経験した元老が、日本と近代東アジアを同質的に理解していたように、戦後の政治家もアジアの中の日本を意識し続けてきました。アメリカに占領されながらそのことを考え、そして現実対応することには、“知恵”も必要でした。
今、政治は2世〜3世にバトンタッチされました。
彼らには時代経験がありません。それを感じ取れる人生経験もありません。何よりも、“そのような歴史理念”を軽蔑し、“時代遅れだ”のような態度をとっているようにも見えます。
この近代と現代をまたぐ時代、世代の犯した失敗を年代計算してみました。この計算の中で、その失敗を決定づける約5年間をセットしてみます。
1945年(近代日本の崩壊)ー5年ー1868年(戊辰戦争)=72年間
2020年頃(何かが起こる未来)ー5年ー1945年(日本の敗戦)=70年間