びーすけ工房でひとやすみ

思うことをびーすけ工房からお送りします。

原理主義

 ″極端″というイメージで評判はよくありません。
 
 たとえば、いろいろな宗教ありますが、その教えの理念をとことん煮詰めて、あらゆる不純物を取り除いた結果のエキス みたいな
 
 基本は極めて禁欲的な代物になります。
 
 そして、ぱっと見、それが守られれば、世の中″秩序のエキス″で満たされて、誰も文句いえないでしょう・・・
 
 みたいな
 
 
 ところが、その″煮詰め屋さん″自体が、実は禁欲的とは遠い存在実態であったり、一方、人間社会では、それ自体正面から否定する抵抗勢力が必ず大きな力を持つので、
 
 結局、殺し合いの結末に至ります。
 
 
 考えてみると
 
 
 大昔から人民統治のシステムとして形成されてきた宗教や、ローマとか近代国家、そして日本では江戸時代などなど、
 
 人々が飢えない自然環境にあっては、そこそこ分配が保障できるので、原理主義的生き方は特定の役割をもった限られた人々だけの営みで済み、原理主義とは無縁の大衆はそれらを尊敬する対象にもできました。
 
 反対に生命維持が容易でない自然環境の中では、食べ物の争奪が日々を混乱させ、それを抑え込むための″残酷な原理主義″が必要になってしまう・・・
 
 
 日本の歴史では、
 
 江戸時代、数千万人の農民を生かすため、人口の7%程度の武士階級が四公六民とか五公五民とか、要するにバランスのしくみで巧に統治し260年以上の時を稼ぎましたが、それでも江戸時代の後期には天災による飢饉等では、″改革″と称する原理主義をちらつかせなければなりませんでした。
 
 76年前には、国家的欲望の果て、絶望的な世界戦争に挑んで徹底的破壊の内に″天皇原理主義″が敗北しました。
 
 戦後、日本社会がもはや原理主義とは無縁と感じられるのは復興に手を貸したアメリカ傘下の物質的満足度の高い時代を過ごせたからであって、日本人自身が原理主義を葬ったわけではありません。
 
 この20年、アフガン戦争以後、そして今回アメリカの敗北、それは″Japanモデル″をアフガンでなし得なかったアメリカの失敗であって、戦後アメリカは何度も同様の失敗を繰り返してきました。
 一方、アメリカの失敗の陰にいただけで、日本はその失敗をしなかった戦後であったというだけです。
 
 
 なぜか、、、
 
 
 アメリカが″平和主義という原理主義″を日本に定置したからです。そして、ほっとして″それで良い″という日本人の柔軟さがあったからに他なりません。本来日本の原理主義であった天皇制も″好意的″に変異しておさまり、天皇陛下万歳と叫んで自死する必要性もなくなりました・・・。