びーすけ工房でひとやすみ

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明治150年記念式典の意味

 昨夜7時のNHKニュースでは何も報じられませんでした。
 かろうじて本日朝刊2面下段に報じられてました。

 

 国民的行事とはみなしていないようです。
 
 
 しかし、昨日報道された別の経済ニュースと妙な因縁を感じました。
 

 「野村HD、中国政府系と共同でファンド設立へ・・・」
 
 
 150年前、日本の近代化がその緒についた時、大陸では西洋を拒む清王朝李氏朝鮮がともに混迷していました。単身で朝鮮の開国を企図した西郷の行動空しく、その後の日本政府はいわゆる「脱亜論」に舵を切りました。
 
 日本と大陸の不幸のはじまりでもありました。
 
 もし150年前、中国・朝鮮・日本がともに共同して、したたかに近代化を指向していたならば、世界は異なった地図になっていたかも知れません。
 
 
 しかし、そうはなりませんでした。
 

 それから77年後、日本の都市は灰燼に帰し、中国には共産主義の旗が立ち、朝鮮は南北に引き裂かれ、この列島は米軍の基地と化しました。
 
 19世紀植民地は独立していきましたが、東アジアはアメリカの覇権が確立して21世紀まで来ました。
 
 今回の式典の中で安倍首相が語った「若い世代の方々にはこの機会に、我が国の近代化に向けて生じた出来事に触れ・・・」の部分は、本当はこのような出来事であったと知るべきでしょう。
 
 
 2018年、今、
 
 150年前と同じことが起きようとしています。そのことに早く気付くべきです。
 
 現在の中国と朝鮮半島は150年前とはまったく違う姿をしています。そして、中国・朝鮮・日本は同じ条件を共有できる可能性を持っています。
 
 
 現在の日本の姿は150年前の中国の姿かも知れません。

 
 古い因習に囚われ、次を見失った中国のように、戦後日米体制にこだわり、今や巨大化した中国とどう次を描くのかを考えなければ、20世紀の不幸を繰り返すかもしれません。
 
 今、迷走し始めているアメリカの今後次第では、日本はその迷走に引きずり込まれて、再び中国とも間違ったことになるのでは・・・。
 
 150年記念式典の参加者は、そのことが分かっている人たちと、まったく分かっていない人たちが居るのではと思えます。
 
 分かっている人たちは次の手を考えているのかも・・・と思えます。
 
 この式典を殆ど報道しなかったマスコミも、そのことは分かっているのではないか。
 
 そして天皇がこの式典に招かれていないのも、"勘違いしてしまう人たちを元気にしてしまわない方が良い"という配慮であったのではと・・・楽観してしまうのは間違いでしょうか?