びーすけ工房でひとやすみ

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金は天下の回りもの

 「金は常に一つ所に止まらず、常に世の中を巡る」
 
 というのが直訳だそうです。
 
 経済社会を循環する血液という表現もあります。
 
 
 要するに「金融」の意味と同じだと感じるのですが、
 
 本当はもっと倫理的な意味もあるのではないでしょうか?

 
 今度、一万円紙幣の図柄に入る、近代日本経済の父ともいえる渋沢栄一を紹介する一文では
 
 「道徳経済合一説」 が注目されます。
 
 渋沢は現代経済に存在する500もの大企業の創業に関わり、本人は三菱のような大財閥形成にこだわらず、公益経済を優先し、教育や福祉事業発展にも積極的に貢献しました。
 
 これまで、学校の教科書でもあまり大きく取り上げられなかったのに、今なんで?  と思うのですが、、、
 
 この間、大企業の利益拡張を優先して、一方で国民の生活格差を拡大させてきてしまった政治家達が、なぜ今渋沢を最高額紙幣に登場させるのか、、、、

 ちょっと、良く分かりません・・・

 
 ところが、確か4年後から供給される渋沢一万円札を前に、この春からの"コロナ騒ぎ"は、何か偶然なのか、何かの暗示なのか、、、 

 今、"困っている人達"に政府が借金をしてお金をばらまこうとしています。支給の方法や手続きの混乱で批判もされていますが、趣旨は正しいことなのでしょう。
 
 というより、そうせざるを得ないということでしょう
 
 "突然の窮乏者"は資金の入手に困難をきたしてます。緊急的に必要なのは、
 
 ①資金の供給と②需要の喚起
 
 ①は当座の運転資金 ②は事業継続の算段
 
 ①は当事者へ、そして②はすべての国民へ
 
 
 この施策は、資本主義ゆえに実行されるべき本質的なものだといえます。
 
 一面、こういう施策に"社会主義"の定義をちらつかせる人達もいますが、実は、古典的な意味の資本主義と社会主義の二元論的な現実はもう100年近く前に消失してました。
 
 20世紀のソビエト(現ロシア)や中国がやっていたことは社会主義ではなく、「独裁体制による計画経済」という反人道的な巨大システムでしてた。
 
 社会主義の勉強をするとマルクスという名前が出てきますが、マルクスは中国やソビエトのようなものを予言はしてませんでした。ソビエト消滅と中国の変質で、マルクスの名前も消えたようになりましたが、、、
 
 実は2020年、今 コロナ騒ぎの起きている現在こそが、マルクスが予言していた資本主義の姿なのだと思えます。
 
 このことは、最近の経済学者も指摘しはじめているようですが、
 
 ・・・・・・
 
 なのです、
 
 資本主義的経済システムの中で得られた「利益」が、国民経済の救済に放出せざるを得ない事態こそが、その予言の的だったと
 
 そんな借金返せるの???
 
 などという危機感は的外れで、膨れ上がり、偏在した富を、広くあまねく供給しなければ、人類の経済社会自体が崩壊してしまいます。
 
 まず生命を守る政策。次に生活を営むための政策。
 
 総人口の圧倒的な数の人々の救済なくして、国家全体の維持は不可能で、、、
 
 私利私欲、利権主義、組織主義に傾倒してきてしまった今の体制は、これを機会に目を覚まし、
 

 そして、"渋沢主義"的な"金は天下の回りもの"の真意を宣言すべきであるのでしょう・・・!