びーすけ工房でひとやすみ

思うことをびーすけ工房からお送りします。

人生の成功者

 今やおびただしい数の人間が地球上に存在しています。
 
 人間には「幸福感」というのがあって、人それぞれにその尺度があるでしょうが、″絶対的尺度″というものはありません。
 
 ただ、思うことは・・・、自分が長く生きて来て、現在″施された幸福″に生かされていると自覚できて、反対に、この施しの陰で、どれ程他者を傷つけてきただろうかと思わざるを得ません・・・。
 
 この傷つけられた側の人々には、、、″施し″があるのだろうかと・・・。
 
 一個人の内層的幸福感などはストレートに社会表面には出にくいものですが、幸福感と同じ分だけ対として″寂寥感″が存在するかも知れません。

 
 幸福を施された者の側には必ず寂寥感も存在するはずです。

 
 そう思えるのは、少なからずこれまでの日本社会がいろいろな意味で弱者であっても、少しの幸運と努力があれば″幸福が施されて来た″からこそ、そのことへの素直な感情が他者への思いを呼び覚まさせたのです。
 
 その「施し社会」の中で″自分なりの幸福″を築けた者は″成功者″であり、その人々の数が多いか少ないかによって、所謂民主主義社会のレベルの優劣が決まります。
 
 
 ここ30年来、日本では平成と呼ばれた時代、段々このことを考えなくなり、弱肉強食、勝組負組、成果主義、経済格差、不寛容、新自由主義、、、、同じ本質を表すあらゆる言説が社会の主流となってしまって、そのことの結果だけによって″幸福かそうでないか″を選別し、そして現在、その限界終局点に来て、「およそ人の幸福は人それぞれの″人生力″だけにかかっている」といわんばかりの国家の無責任さが社会全体の空気を支配しています・・・!
 
 なので、この空気の中の勝者と呼ばれる者たちが成功者でないことは明らかです。
 
 なぜこうなってしまったのか、
 
 それは、この国の国民が民主主義の形だけを学んで、その本質は理解できていないからに他なりません・・・。