これは経験的な話です。
夢中で働いてきた人生。それは生きるためであったと思うのですが、定年という一つの区切りが準備されていて、予定どおりにその時が来ました・・・。
私個人は、″その時″をこころ待ちにしていました。
それ程に″雇用からの解放″に自由への渇望を感じていました。
今、時代を眺めると、この″予定″が立たず、困惑が社会全体に広がっています。必然的に雇用継続が半強制されようとしています。
このことに、私は少し異なった時代変化、それは個人の欲望の変質を感じざるを得ません。
「個人の解放」は家族制度を変えました。
個人の欲望がそうさせたのだと思います。
このことを長々話せる力量は私にはありません・・・。
普通に、おそらく誰もが悩むようなことで青少年時代を過ごし、経済不況でありながら幸運にも定職に就けて、無我夢中で仕事をし、恋愛し、家庭、子どもを授かり・・・
試行錯誤、感情のぶつかり合い、笑いと涙と、
これは、きっと″普通のしあわせ″に恵まれていたと、それ以外の何ものでもなかったでしょう。
勿論、雇用される中で、この社会が準備している責任と義務を忠実に果たしながら、一方でその矛盾にも発言する。それができる環境が生活の中にあったことも恵まれたことでした。
思えば、自分の意思が人生を決めていたのではなくて、殆どが予定されていたことなのだと、今は思えます。
そしてこの広い世界の中で、そんな自分と向き合ってくれる人が、必ずいるのだなぁと、今、しみじみと実感しています。
″必ずいるのだ″というのは、誰でもそうだということですが、それを感じられない人もいます。勿論それは不幸なことではなく、人間の自我の本質=孤独が勝る人には、感じる必要のないことなのでしょう。
なので、これからの時代、「孤独死」が増えるようです。
それ自体恐れることではありませんが、″予定崩壊″した世の中であっても、ともに歩む者が存在するしあわせは、かけがえのないものだと思っています。