びーすけ工房でひとやすみ

思うことをびーすけ工房からお送りします。

逆賊の安穏

 若いころ荒っぽかった不良達は、実はとても見込みある有為な青年になった・・・。
 
 金の卵 受験戦争 ビートルズ 学園紛争 高度成長 モーレツ社員 団地族 ニューファミリー マイカー マイホーム ナイスミドル ・・・。
 
 どんな時も努力によって乗り越える壁があって、挫折と成功を味わいながら、情熱的に、時には秘めた思いで時代の成長と闘いながら結果を出してきた人々。 
 
 団塊の世代
 
 ほぼ私の兄の世代
 
 子ども心に見上げて、カッコいいと憧れた世代
 
 どのようなことにも功罪はあるので、世代論的意味での評価は分かれると思います。
 
 ただ、見上げてきた世代としては、そのどちらの側の議論に立っても複雑な感情があります。
 
 彼らは体制や既成の価値観と対峙し、時には激しく闘い、しかし同時にこの世の中に幸福をもたらそうという正義感も持ちながら、この社会の高い福祉も実現してきた。
 
 今、自分が定年退職して、ふと自分の足元を見ると、そこには彼の世代が踏み固めた大地があって、そこに自分も生かされていることを実感します。
 
 今、自分の世代以下を見回すと、この実感を感じている者たちとそうでない者たちの乖離があります。
 
 それは自覚的であるか無自覚であるかの違いはありますが、要するに肯定的に思うか、否定的に思うかに分かれます。
 
 これからの10年、このことの結末が見えてくるように思えます。
 
 「反逆の世代」は、今"安穏"としています。"老後"という穏やかな言葉の響き・・・。
 ただ、今でも彼らの一部には、これから訪れようとしている不確実な混沌に対して、嗅覚的、体質的な反感、反発の感情が微動しています。
 
 しかし、私以下の世代はいかなる行動も微動さえも起こそうとはしていません。
 
 支配体制はしっかりその切り替えのタイミングを見計らっています。
 
 その策動はすでに始まり、さすがに私の世代でもそのことに気付き始めていて、惨めな再雇用に耐えながら、憧れた世代を肯定的に、せめて理念的には導かれたいと・・・。
 
 ただし一方、それを"逆賊"とほぼ感情的に見定めた人々は、憎しみさえも感じながら「逆賊の安穏」を何とか奪い取ろうとしているようです。
 
 意図的な破壊であれ、突然の破滅であれ、巨大な変化の予感がすべての世代に覆いかぶさっている現代であります。
 
 しかし、逆賊であればこそ安穏を手にした世代、その時代があったことは確かであり、何故それを手に出来たのかのかを、もう一度検証し学ぶ意味が示されていると思えるのです。