びーすけ工房でひとやすみ

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東北の旅(2)

 
 
 会津若松に午前8時到着。
 
 
 鶴ケ城公園に直行すると、この時間で駐車場はすでに5割方。さすがにNHK大河ドラマの影響は大きいです。
 
 
 大河ドラマは毎年みていますが、放映中のご当地を訪れるのは初めてです。現在、話の舞台は京都に移っていますが。
 
 
 というより、歴史的に東北の要地である会津若松に関心を示しつつ、これまで通過するだけで、きちんと訪れなかったことが不思議です。翌日は磐梯山に登って米沢に向かう予定ですが、米沢は過去に幾度が訪ねていたのですが、考えてみると、この地の歴史は、福島〜山形を分ける大峠を挟んで、“セット”で考えるのが普通であろうと、そんなことで、今回は上杉家の歴史の再確認ということになりました。
 
 
 会津若松は秀吉の時代に蒲生氏郷が入って後、関ヶ原の2年前に上杉景勝が120万石で入封されていて、しかし、直後の関ヶ原の敗北で上杉家は出羽米沢30万石に転封されてしまいました。
 つまり、上杉家が会津若松を領有したのは2年足らずということで、江戸時代の上杉家の歴史は米沢へということになります。

 
 
 江戸時代に外様の上杉が会津を領有していたら、幕末〜維新の歴史も変わっていたと思います。
 
 
 もともと上杉氏は、戦国末期に謙信が上越高田の春日山城を拠点にして一大勢力を形成して以来、偉大なり謙信という“アイデンティティ“が東北に移っても継承されて、米沢などは今でも“上杉タウン”となっています。
 
 
 大峠を挟んで南の会津に将軍家の血を引く松平家が配置されて、似たようなアイデンティティで向かい合うというのも、面白いディスプレイだと思うのです。
 
 
 そのような訳で、大河ドラマ天地人」の終盤の舞台となった米沢には、2009年放映時に大変な人が押し寄せたということでした。
 
 
 江戸期米沢のテーマは“中興の英雄”上杉治憲(上杉鷹山)に尽きるかも知れません。
 
 
 米沢移封後の上杉家の経営は褒められたものではなくて、名家としてのこだわりが災いしたのか、人材としての藩主にも恵まれず、3代藩主の急死による後継問題で15万石まで減封されるに及んで、その窮乏は極まります。
 
 
 そこへ、他家から養子として入って藩主となった鷹山の、長きに渡る改革が始まり、みなさんご存じの“東北の奇跡”が、今では教科書にも載る、そもそも江戸時代のローカル史が教科書に載ることはあまりないのですが、最上川上流のこの小さな街を、全国に知らしめるストーリーが残されることになったのでした・・・。
 
 
 前述の、もし上杉家の米沢転封がなければ、このストーリーも無かったのかも知れません。危機的財政難の今日、その打開のヒントを歴史に求める際に、何か鷹山の代わりを探さねばならなかったでしょう。
 
 
 「為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の 為さぬなりけり」
 
 
 上杉謙信家訓十六箇条
 
一、心に物なき時は心広く体泰なり

一、心に我儘なき時は愛敬失わず

一、心に欲なき時は義理を行う

一、心に私なき時は疑うことなし

一、心に驕りなき時は人を教う

一、心に誤りなき時は人を畏れず

一、心に邪見なき時は人を育つる

一、心に貪りなき時は人に諂うことなし

一、心に怒りなき時は言葉和らかなり

一、心に堪忍ある時は事を調う

一、心に曇りなき時は心静かなり

一、心に勇みある時は悔やむことなし

一、心賤しからざる時は願い好まず

一、心に孝行ある時は忠節厚し

一、心に自慢なき時は人の善を知り

一、心に迷いなき時は人を咎め