前者は欲望はあるが理性的に振舞えること
後者はそもそも欲望を持たないこと
さて、どっちが正しいのか?
しかし、人間には両方の感性が付きます。でなければ人間ではありません。
前者は様々な方法によって身につけられるので、身体苦痛や強度のストレス、依存症などのハンデがなければ自己実現できそうです。
後者についても、何でもかんでも手を出す人はそうはいないので、″本当のいきがい″を一つ持てれば、″多欲″は解消されます。
ということで、この問いは意味がなさそうです・・・。
しかし現実は、この問いに直面し苦しみ、不幸を感じている人が増加しているのが今の社会です。
生物学的に言って、生存に必ずしも必要でないようなことに需要が発生して利益も発生し、そのプロセスで自身の価値観を封印してまで行動せざるを得ない日々を強制され、そのストレスを慰めるための欲求が入れ代わり立ち代わり自分を誘惑してくる・・・
誘惑は小さな金額で攻めてきます。
小さな金額は無欲の天敵です。
かつて資本主義の最大の悪魔は″労働搾取″でした。
今、資本主義の最大の悪魔は″1円″です。
この悪魔が子どもから老人にまで襲い掛かっています。
老後の生活を眺めると、自分の弱さが小さな蟻の群れと闘っている感触があります。そして、勤労者であった頃には気が付かなかった時間と空間の中にいる自分が感じられて、「ああ、自由とは、こういう感触なのだな」と思えるのです・・・。