びーすけ工房でひとやすみ

思うことをびーすけ工房からお送りします。

これは歴史に残る選挙か?

 最後の記事書き込みから3年半も経過してしまいました。長く中断していた訳の一つは、仕事で転勤があったこと。私の場合は40代までは2校のみ。それぞれ長く10年以上在籍していました。その後は3年ペースで移動し、今年の春の定年退職までさらに3校経験しました。
 ブログを中断してからの3年、最後に勤めた定時制高校では、短くも充実した時間が過ごせ、公私ともに学ぶこと多い時間でした。
 
 さて、とんでもない選挙となりました。どのうような投票行動を取るか、私自身は大体決めていますが、与野党それぞれの立場から解散選挙の是非、さらに政界再編をめぐって批判的声が多々きかれます。
 
 今回選挙の構図は、日本社会全体の縮図であるのではないでしょうか。
 
 格差進行の中で鬱積してきた体制への不満。“持たざる者”の増大、それは失うものを持たない人々の破壊的エネルギーを大きくし、急激な全体主義的社会変化に向かいます。これは過去の歴史や現在の世界全体の傾向に日本も無縁でないことを示しています。

 団塊の世代のように戦後平和国家の繁栄を享受してきた世代が高齢化によってそのエネルギーを失いはじめていて、それは平和憲法世代の後退、憲法の意義を知らない、感じない世代の相対的増加、少子高齢化による国家の衰退を前に冷静に将来を展望できなくなっている焦り、ヒステリックに麻薬のようなアベノミクスにしがみ付こうとする金欲者たちの快楽主義の暴走、幾度か戦後経済の危機的場面でそれを克服させてきた技術者達の捨てられない幻想、半径数メートルの世界の中でしか自分を感じられない若者や子ども達・・・。
 
 麻薬経済の副作用が顕著になってきたことで、少なからず疑問を感じ、何とか、次の変化を期待する機運があることは確かなのだと思うのですが、いかにも上述したような現在の社会状況の中に、全体にも個人にも信念となりうる方向性が見えず、そして感じられず、混沌が渦巻く・・・。
 
 突然噴火している野党大再編は、そのむずむずとした苛立ちを「希望」という観念論で一気に目的性を起動させて、何者かが画策している方向性に人々を動かそうとしている。
 
 そういうことなのかなと、、、感じるのですが。