びーすけ工房でひとやすみ

思うことをびーすけ工房からお送りします。

原発銀座

 福井〜京都〜滋賀〜岐阜を回ってきました。
 
 
 埼玉からの旅の総走行距離1500km。山道が多かったからでしょうか。
 
 
 北陸道敦賀から旅のはじまり。
 
 
 いきなり原発銀座。
 
 
 江戸時代、この一帯は有力譜代の酒井氏が治め居城は小浜にありました。藩医だった杉田玄白を記念して、「杉田玄白記念公立小浜病院」があります。
 明治初年の戊辰戦争では幕府方として薩長と戦い敗北しました。そういえば、東の原発大国福島県でも会津藩薩長に抵抗して敗北しましたね。
 
 
 雨の敦賀はなんとなく寂しげな街でした。名所「白砂青松」のビーチも鈍い雲が垂れ込めて、夏の賑わいを見られないのが残念。
 
 
 敦賀半島を右に海を見ながらカーブの続く道をしばらく走ると、日本原電の敦賀原発のゲート前に出ます。敦賀市街から約20kmの距離です。

 
 敦賀半島の先端、複雑な地形であることが見た感じで分かります。1号機2号機の山の向こう側の外海に3、4号機の建設が予定されています。 
 建設はたぶん無理でしょう。この地形を見た素人目にも恐怖を感じます。
 
 
 原子力館では普通にPR活動も行われていて、原子力発電所を間近に望めるホールの展示には子ども達の夏休み見学会の姿がありました。
 
 
 原子力規制委員会の評価報告を反証するための広報誌をどっさりもらって外に出ました。
 


 敦賀半島を西側に回るトンネル道を抜けて、しばらく走ると若狭湾が大きく眼前に開け、海水浴場のバックに巨大な関電の美浜原子力発電所が聳えていました。

 
 ああ、忌野清志郎の「サマータイムブルース」に歌われていた光景だと、瞬間よぎりました・・・。
 
  http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=9QimzLaP6Lw#t=3s
 
 
 東電柏崎や中部浜岡は近隣に大きな街が立地していて、それだけで恐怖感がありますが、この美浜は海辺の寒村に突き出た“出島”にあって、陸を回ると遠いので、県道から一番近い正面に橋が掛かり、橋の入口に原発ゲートがあります。
 
 
 このゲートの直ぐ側に田舎のドラマに登場しそうな中学校の分校がありました。
 
 
 美しいのどかな場所であればこそ、また余計何かを考えさせられる訳です。
 
 
 美浜原発では、2004年8月9日、運転中の3号機の2次系配管がいきなり57センチもめくれる大きな破裂事故を起こしています。この事故は福島第一以前では最悪の事故といわれているようですが、事故原因は、行うべき点検を行なわず、結果として経年劣化で配管厚がどんどん薄くなって破裂。関電発表では事故の程度を過小評価して報道されましたようですが、専門家筋からは、冷却水量の急激な減少で最悪炉心溶融の可能性もあったといいます。
 
 
 上記の事故内容は、美浜原子力PRセンターの展示に詳述されています。
 
 
 のどかなビーチの風景からは、そんな恐ろしい出来事があったことは想像もできませんが、私たちはそれから僅か7年後に、現実のこととして、日本の原発で最大級の惨事を経験することになってしまいました。


 
 県道を敦賀半島の先端に向かわせると、「もんじゅ隧道」を抜け、原研の高速増殖炉もんじゅ発電所ゲート前に出ます。

MOX燃料(プルトニウム・ウラン混合)を使って、使用した燃料以上の燃料を取り出す“夢のような”原発だったそうですが・・・ナトリウム漏れや原子炉部品落下事故などで、竣工以来もう20年も満足に稼動出来ず、そんな訳で反対運動もあったようで、車をゲートに乗り付け係員に見学の旨申し出ると、あっさりと断られてしまいました・・・。
 
 
 引き返し、白木と呼ばれる集落に降りると、霞んだ雨の海の向こうにもんじゅが見えました。

 
 
 美浜から続く長大な遊泳ビーチを右手眼下に流れる視界を、次第に遠ざかる美浜原発の姿を気にしながら敦賀半島を後にし、若狭湾を小浜方面に国道27号線を走ります。
 
 
 悪天候に、三方五胡レインボーラインに上がるのあきらめ、一気に小浜市からおおい町向かいます。
 
  
 大井町には、関電大飯原子力発電所があります。東日本大震災後唯一稼動している原発ですが、ということでしょうか、おおい町内から約10km先、大島半島の先端部にある原発を目ざしましたが、原発ゲート以前で通行禁止でUターンとなりました。その代わりに、大島半島の小浜湾に面する漁村の風景を見ることができました。
 
 
 おおい町国道沿いに関電のPR館「エルガイアおおい」があり、まるでゲームセンターのような感覚でエネルギー社会の未来を宣伝していました。勿論無料です。
 
 
 しかし、この若狭湾内に、さらに隣の京都府舞鶴から4km地点には関電高浜原子力発電所もあり、まさに若狭湾原発銀座という、その実態を実感できます。
 
 
 近代史の中で、大きな産業が成立しえなかった地域に現在原発が作られていますが、日本の原発4分の1、14基の原子炉がこの狭い地域にひしめく現実は、山峡の小さな国土でこれだけ経済発展してしまった国家が、前近代の貧しい時代には何処をとっても一つとして無駄のなかった地誌と希少な文化を生み出した村を、マス文明の肥大化の中で、「過疎」というたった一つの理由で、おぞましい放射能発生装置を置く場所にしてしまった、あまりにも現代経済人達の、“道徳経済学”のなさを物語っている証拠といえるでしょう。