写真を撮っている妻と野鳥観察してます。
これまであまり気に留めなかったのですが、あらためて見渡すと多くの鳥たちが回りにいます。
これからの季節は山にいた野鳥が里に下りるので、元々いるスズメやカラス、ムクドリなどの間を縫ってモズ、コゲラ、ホオジロ、エナガ、ヤマガラやシジュウカラ・・・
住宅近くの公園の小川にはカワセミも小魚をねらってます。
これだけ人間の側にも野生逞しく生きているもの達がいますが、どれも人間になつこうとはしません。
生態系の中で本能に忠実に懸命に命を繋いでいます。
フッと上空を見上げると、ノスリが旋回しています。風に乗ると見えなくなる程の高度に消えていきます。あの高度から地上の獲物を見定めるのですから、その能力の凄さに感心します。
強いもの、弱いもの・・・
そう表現すると″弱肉強食″を意識してしまいますが、考えてみると、この自然界の中では、どの″段階″に生きるものも、自然界の中にキチンとポジションがあるので、時間の長さに差はあっても、それぞれが導かれた役割を生き抜いてます。
それぞれの段階の″前後関係″の中で緊張感あふれる生命の接触を日々繰り返しています・・・
天敵!!
果たして、人間の天敵は何でしょう?
答えには困りませんね。
生態系のピラミッドを人間は生物学として認識しています。恐らく他の生命達は、そのように自分の存在を俯瞰することは出来ていないでしょう。
しかし、それを″手のひら″の上で俯瞰している人間は、生態系の頂点にはいません。
生態系のピラミッドの外側にいるからです。
しかし、本当は人間も生命進化の途上にあるのですから、生態系の中にいるはずです。
実は、人間も含めてこの自然界のすべてをつくり上げた″存在″については、人間は誰一人出会ってもいません。
こういう想像が″神″を生み出しました。
あなたは神の存在を信じますか・・・?
私は信じません
決して会えないものを信じても仕方がないからです。
もし、神が存在しているとしたら、その神こそが人間の天敵になるのですが、信じない者には天敵になりません。
では、人間が恐れるものは何なのでしょうか。
明解です。
人間の天敵は人間であり、それは自分なのです。