びーすけ工房でひとやすみ

思うことをびーすけ工房からお送りします。

二人の人間

 前に書き込んだ「半分青い」と同じような話になってしまうかも知れません。
 
 それでも日々対人的に様々なことがあるので、それが何か新しい表現とかに思えてしまうことがあって、でも日付を跨ぐと完全に失念してしまうので、、、、ここに書きます。
 
 
 一人に見える人間が、実は二人の人間として存在していることに気が付きました。
 
 それは自分も含めてなのですが・・・。
 
 
 例えば、恋愛を経て結婚をしてしばらくたつと、相手の一側面しか見えていなかったことに気が付いたりします。
 
 その新たに気付いた部分が自分にとって否定的なことである時は悩むこともあるかも知れません。
 
 さぁ、どうしましょうか?
 
 
 これは一つの考え方なのですが、しかし正しいものの見方だと思える方法があります・・・、"方法"というのも変かも知れませんが・・・。
 
 恋愛感情を持っている相手が一人の人間だとしたら、新たに気付いた相手も一人の人間です。
 
 
 それだけのことです。
 

 その人間と共に生きるということは、その二人の人間と生きるということです。
 
 つまり、自分の両側面に二人の人間が立っていて、両方の人間と折り合いを付けていくのが人生なのでしょう。
 
 
 恋愛感情を例えにしましたが、あらゆる人間との関係においてこれは同様のことがいえます。
 
 相対的に自分も他者から見れば二人の人間であるのです。
 
 さらにこれは、「受け入れられる人間」と「受け入れられない人間」、白と黒とかのような分かりやすい対語的な二人ではなく、「人の中にある質的に異なる"二つの個性"」という形で分け与えられているという意味です。
 

 試してみて下さい。
 
 自分の周囲にいる人間の誰でも構いません。その人を観察していると、必ず二人の人間が浮かび上がってくることを発見できます。
 
 それを認識できれば、その人と協同して生きていくことはそれほど難しいことではなくなります。。
 
 その人を正しく見られるからです。
 
 自ずと、どう付き合えばよいかも決まってきます。
 
 そして、
 
 同時に自分も二人の人間であることに気付くのだと思います。
 
 「肉体は借り物」
 
 これは貸し手との対話の実現でもあるのだと思います。