びーすけ工房でひとやすみ

思うことをびーすけ工房からお送りします。

記憶の記録

 認知症になると、取り出せなくなります。
 
 壊れたHDDと同じですね。
 
 近い未来、医療技術によって取り出せるにようになるかも知れませんね。
 
 壊れたHDDと同じですね。
 
 でも、死んでしまうと、永遠に消滅します。物理的に燃やしてしまうので・・・
 
 これもHDDと同じですね・・・
 
 要するに、バックアップをとっておくということでしょうか。
 
 これまたHDDと同じですね。
 
 
 コンピューターの世界では、大抵それをやってます。個人ユーザーの場合は、「あっ!しまった!」ということでおじゃんの人も多いかもしれませんが、大量のデーターを預かる商売の立場では、必ずそうしておきます。
 
 
 つまり、自分の脳みその記憶について、「あっ!しまった!」をしでかしている人がどれほどいるだろうかと・・・
 
 
 こんなブログも、そのバックアップのつもりかも知れません。
 
 笑われそうですが
 
 ″価値″のあるなしの客観的な物差しなどありません。人間世界はひたすら主観で動いてますから。
 
 なので、分かりやすくいえば、あらゆる記憶には価値があります。
 
 例えば、生物学的には遺伝情報も記憶のようなものですが、それらは一世代で″固着″してしまうことなく、″変異″によって″進化″していきますね。
 
 ウィルスですね
 
 人文学的には故人が残した文字記録の中身が、後世の人間に多大な影響を及ぼすことも当然あります。
 
 
 ところで、何が云いたいのかといえば、
 
 
 ネットの時代、
 
 
 そこにつながれている人は、一方で全体につながっていると同義で、
 
 一所懸命に文字を紙に書かなくても、自分の記憶を世界全体に記録することができるようになった
 
 
 これもウィルスと同じです
 
 
 哀しいことに、人間はこの″記憶媒体″を、非難、批判、排斥、中傷、破壊教唆・・・、のツールにもっぱら利用してます。
 
 それが、″紙記憶時代″よりも圧倒的に影響力が成長してしまっています。
 
 生物学的には、絶望的な悪性細胞のようなものです
 
 
 AIが、圧倒的な速度ですべての情報を分類してます。それが悪く作用すれば、悪性細胞もさらに強毒化します。
 
 
 なので、私たちは、価値判断は他者にまかせることにして、可能な限りに自分の記憶情報をこの世界に記録し残さなければなりません。
 
 
 もしかしたら、ついに″アナログ民主主義″は滅亡しても、電磁的世界ではその記憶が生き続けるかも知れません・・・