びーすけ工房でひとやすみ

思うことをびーすけ工房からお送りします。

創造の再起動

 そう期待するしかないのだと思います。

 
 今起きているコロナ災害は誰の責任なのかと考えました。
 
 これは″災害″だという人がいます。
 
 そうやって誤魔化したいという側面もあるでしょう。特に指導的立場にある人には。
 
 東日本の時も、同じ理屈を平気で語る人々がいました。
 
 派生して起こる様々問題には、当然、個々の責任が発生しているのですが、
 
 これは″災害″だからと、殆どが罰せらることなく済まされてしまいました、、、
 
 たぶん、今度も同じ道筋をたどるでしょう。
 
 
 興味深いのは、″その後″まったく責任取らなかった人々が、自らの正当性を醸し出すために対立軸を「悪夢の・・・」とこき下ろしてましたが、今回は、その自らが「悪夢」にならないようにしなければなりません!
 
 
 その為には根本的に考えなければならない「本質論」が必要です。
 
 
 このコロナがどうして起きたのか
 
 
 素人考えなのですが、原因として挙げられるのは2つしかないと思っています。
 
 ①中国戦略説
 みなさん考えてますね。ゆくゆく世界を傘下に治めようとする中国が、白人文明を衰退させるための生物兵器として開発していた・・・
 ところが、事故によりそれを想定外の形で漏出させてしまった。私個人は、確証的根拠はありませんが、これは有力だと思ってます。それ程に現在の中国の有様は異常なほど世界に対して攻撃的でありますから・・・。
 
 ②環境変動説
 これも云われていることですが。エボラやエイズでも指摘されてきましたが、人類の自然破壊をともなう開発行為が、開けてはいけない蓋をつぎつぎ開けてしまい、事実としてこれまでに様々な危機を繰り返しながらも今日まで、何とか凌いできた。
 
 が、今回は相当に″終末的にも思える″事態になってしまっている・・・
 
 
 しかし、原因が何れにしろ、起きている事態と今後の私たちの方向を思えば、
 
 ひとつ、覚悟が必要なのだと思います。
 
 歴史を振り返れば容易に想像できます。
 
 例えば、76年前に日本の敗北で終結した世界大戦。あの時、人々はどのうように感じていたのでしょうか?
 
 日本人は″一億総懺悔″、、ああ、戦争はもう御免だ、、とボロボロになった国土を見つめて思ったわけです。こずるい人の中には、これはチャンス到来と旧体制下の窮屈さの終わりを喜んでもいました。
 
 一方の戦勝国も、勝者側の大義を「平和と民主主義」という理念で正当化して日本にも新憲法を与えました。憲法の内容自体はキリスト教的博愛主義、上手に構成された民主的マニュアルに彩られ、現在でも通用するものですが、発出したアメリカ側のその戦後の態度をみれば、きわめて″偽善″であったとも思えます。
 
 
 日本国憲法の存在は、実は極めて大きな2つの意味があります。
 
 A.憲法の精神的根幹は、現在の中国政府のとっている様々な横暴に対峙するものであること。侵略した行為を魂から反省できない現在の日本政府が、唯一自信を持って示せるのは日本国憲法の存在であるのに、戦後の経済発展こそが善と考え、しかし現実には、世界の経済発展、増大は、結局は様々な騒乱の火種を作ってしまったという現実。
 そんな愚かさの行き着いたところに、こんなウィルスが出現してしまいました・・・
 
 B.残念なことに、日本国憲法には人間と自然の在り方についての具体的記述はありません。人類が常に自然とともに進化してきたのは明白で、特に日本人などは太古より自然を畏れ、崇拝し、人生を自然のサイクルの中に感じてきました。
 しかし、自然の脅威を対決的に考えてきたキリスト教文明は人間中心主義への回帰によって、それを無視し続けました。
 なので、西洋文明の産物である明治憲法も現憲法にもそのような理念はこれっぽちもありません。
 今、環境問題を真剣にとらえて活動している人々は、その人類文明の危機と、国の在り方の反省と具体的行動をうったえています!

 日本では、 

 古い″イデオロギー頭″の憲法改正論の方々が、張本人が主役の座から居なくなったことで少し後退してるようですが、しかし、上記のような意味で憲法を考えることは必要なのかも知れません。
 もはや、自然環境を考えずに国家の在り方を左右することは出来ません。中国をいまのような亡者にしてしまったことも、世界は反省しなければなりません。
 
 欲望をコントロールし、理念的進化論へ
 
 なので、今、私たちは 人類史上での、次の創造の時を迎えているのは確かでしょう。そのような時代に生きている私たちには大いなる希望と可能性、そして未来への責任があるのだと思えます。