久しぶりのブログ書きです。
3.11から10年、この10年の後半は職業から退職して″自分の生活″を送って来ましたが、特別に人に語れるようなことはありません。
若い頃から社会人としてやってきたことは、今思えば、、、まぁ、どうでも良いことをいろいろと、随分とこだわっていたのかなぁ、と、
なので、今のこの自由な、と思う生活も、結局はこの社会の有様に縛られていて、何か新しい価値を生み出すのでもなく、″一個の生命として″消費活動してるんだな、と、
要するにつまらない生活をしているのだと思います。
数年前に近所の農家が裏手の屋敷林を大伐採した折に、何本か丸太にして頂き、しばらく乾燥させてから半割して保管していたものを製材にかけました。
この木、何の木か分かりません
ともかく、皮を剥ぐと白っぽく明るく、強い匂いもなく、それでも重く、ケヤキ並みの硬さもあって、
これは、行けるかなと、少し楽しみに製材しました。
直径30cm以上あるので、我が家のバンドソーでは扱えず、
いつもお世話になっている知人のところに頼みに行くには本数も少なく、、、、刃渡り30cmほどあるレシプロソーでの切断に挑みました。
このレシプロソーは、前後に激しく動くその様子からさぞかし切れると思える印象ですが、実は扱い方を考えないとなかなか切れません、、、
私の行き着いた結論は、機械の動きにまかせていてはダメということで、機械の前後運動を起動させつつ、自らもグリップをしっかり握って、普通のノコギリ(挽のこ)を切る時のように「軽く押して、グイッと引き切る」動作を加える!
すると、機械が木材をかきむしるように切った部分を、自分の腕の力で「外に削り出す!」感覚で切りくずが勢いよく排出され、その連続運動でみるみる厚い木材がまっすぐに切れて行きます。
腕がパンパンになり相当にキツイですが、30cm近い、太い角材が正味4、50分(途中、休み休みですが)で切れました。
これ、大型のバンドソーだと、たぶん5分程度だと思います・・・が、
それにしても、これだけの大きな木に成長するのには何十年という月日が過ぎ去ってきたことでしょう。雑木なので、恐らく自然にはえたものでしょう。当然に商品材にならず、ただの廃棄物になるのだと思います。
″そんな″木に、、なんでこんな苦労をして製材に挑むのか、まるで意味が分かりません。
賃金労働をしなくなった今、こういう、お金にならない労働をする自分と、まったく商品にならない自然木との出会い
と、そんな風に、考えると、
何故か、意味があるように思えるのは、
少しおかしな人間になっているのでしょうか?