びーすけ工房でひとやすみ

思うことをびーすけ工房からお送りします。

見えない情景の中に

 また、このようなタイトルです。
 
 
 年明けからこのブログも止まってしまって、現在の状況の出口は果たして、″出口の無いトンネルは無い″と、必ず解決できると思っている人はどれほどいるのかと・・・
 
 そんなことを考えると、自分は何も言えなくなるような・・・
 
 情けなく趣味の世界に逃げ込んでました。
 
 
 年末に旧友からの依頼で小規模な屋内工事に掛かって、そんな経緯の中で昔の趣味だったクラシックを中心とした音楽鑑賞に再会して、たくさんの音楽データも聴かせてもらって、
 
 何か、忘れてしまっていた感覚、感情が蘇って、
 
 そういえば昨年秋にYoutube辻井伸行さんの音楽映像にはまって、「光の無い世界にいる人が、どうしてこんなにも″情景を紡ぎあげられる″のだろうと、少し涙腺もゆるむ思いをして・・・
 
 そして今回、昔にかえって良い音で音楽を聴き返すと、
 
 ああ、これは理屈ではないのだな、、、と、
 
 その実感が、
 
 そして、そのような音を譜面に起こし、そしてそれを音に再現できる人々の才能というのは、これは理性とか経験とか、″そんなもの″は日常をうまく過ごすための方便にしか過ぎない、と強く思わせ、、、
 
 
 それだけに、今、文化活動が制約されてしまっている事態は、
 
 もしかしたら、何か人間に唯一与えられた″至上のもの″を、その人間を否定しようとする自然界の恐るべき意図によって滅ぼされるのではと、、、
 
 オリンピックの行方はともかく、″スポーツ表現″もきっと同じ理屈ぬきのものであって、ジャンルはそれぞれとして、人間という生命に与えられた唯一無二のものなんだろうなと思えます。
 
 これは、自然界の動植物を観ても、同じ感情を抱くことができて、まさに森羅万象、存在するものの輝きなのだと納得します。
 
 
 なので、何故人間は、今その一番大切であろう行動表現を出来なくなってしまっているのだろうか?
 
 これは、、、ウィルスのせいではなくて、実は、人間自身が″それ″を否定してしまうような存在になってしまったからなのではないだろうかと、、、
 
 どうなんでしょうか、理性とか経験とかで考えるよりも、実はもっと具体的に、この障害を引き起こしているものが何であるのかの本質を見極め、すべての人間が自身を変化させなければ、解決の道筋は出てこないではないかと考えます。
 
 空論ではありません。この世の中、様々な許しがたいことで満ち溢れています。極々自分に近いところで、誰もがそれを追及して、たたかう時が来ているようにも思えてしまいます。