びーすけ工房でひとやすみ

思うことをびーすけ工房からお送りします。

俺達が若かった頃は

 若い世代が嫌うセリフですね。
 
 とはいえ、若い世代にもいろいろいるので、一概にそうとも言えませんが・・・。
 

 自分の40年前を思い返すと、恥ずかしいことばかりで口に出せません。その自分も「いろいろ」の中の一人だったんだなと今は納得して、そのいろいろの結果の老人の一人に自分は成り果てたのだということです。
 
 では、老人の経験は何一つ若い人達の役には立たないのでしょうか?
 
 これは科学的社会の中の具象的経験のことではなくて、人生論としての話ですが。
 
 しかし、実際問題、老若男女同じ時間の中に存在しているので、常に現在起こっている問題に悩まされていて、世代論的な話は無意味かも知れません。
 
 大きな例としては、過去の悲惨な戦争経験を背負っている人々の理念的な話でさえ関心を持つ″若者″は減っています。そのような人類の普遍的な課題でさえ経験が伝播しないのですから、一個人の小さな経験などに興味を持たないのは当たり前です。
 
 つまりは、若いから、老人だから、ということではなくて、人間自体の本質が″自分本位″だということに尽きます。
 

 この壁を突き崩す要素は、″愛″しかありません。

 
 しかし、愛とは極めて本能的な衝動なので、しかも自分の人格ではどうにもコントロール不可能なもの、つまりは動物的性質、それは進化の原動力でもあった訳ですが、その機能が作動している間だけ、生命は″自己本位″の壁を越えられます。
 
 この愛が、生涯にわたって継続的、持続できる″性質″をもった希な人もいます。人は、そのような人を尊敬します。しかし、一方で自分がその性質を持ち得ていないのに、人にその性質を求める自己本位性もまた人類普遍の性質でもある訳です。
 
 
 結局、人格の衝突、利害確執、そして犯罪も戦争も起きます。
 
 正答はありませんが、いえることは、
 
 
 ″俺達が若かった頃は″は、
 
 
 俺達もバカだったということです・・・。