びーすけ工房でひとやすみ

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木工旋盤物語(5)轆轤の歴史

 轆轤(ろくろ)というと陶芸の轆轤を連想します。スムーズに回転する円盤の上に置かれた粘土に触れると見事に綺麗な器の形が生成されます・・・。
 
 ネットをみるとその起源、歴史など諸説紹介されていますが、よく分かりませんので、ここでは勉強しません。
 
 日本の木製品の歴史をたどると、縄文時代には弓矢とかあったようなので、すでに2000年以上前には木材が利器に使われていたのでしょう。
 
 弥生時代は日本の水稲農業のはじまりとされてますが、木製農具が遺跡から出土しており、レベルの高い木製加工が伺われます。
 これには鉄器の普及が想像できます。鉄製の鋭利な刃物の登場が高度な木工を可能にしたのではないでしょうか?
 
 そして崇高な木彫仏像が生まれました。
 
 平安時代には木工旋盤の原型のようなものがあったらしいですが、当然鉄製の刃物が最重要工具として使われています。
 
 鉋や鑿などは仏師の魂ともいわれる工具です。
 
 木工旋盤のバイトの語源はドイツ語や英語での「刃物」とか「のみ」からきているとか?
 
 洋の東西、何れにしても、自然界に存在している木材を加工するためには、人類が開発した鉄器によることは間違いなく、それは現代も変わりません。
 
 日本では、木造建築から仏像、家具、日用品等々「和の文化」=木の文化みたいな感じで語られています。
 
 私が木工旋盤に興味を持ったのは、陶芸を趣味とする人が多いの比べ、木工、中でも旋盤、つまり和轆轤による木工を趣味にする人は少なく、身近でも話題にならず、、、何故だろうという疑問からでした。
 
 日曜大工という言葉通り、自宅で物置や犬小屋、簡単な家具など作る人は結構います。
 一方、木材を回転させて木を削る人は殆どいません。工業的にも木製品と云えばお椀やお盆くらいしかありません。
 
 そして、驚いたのは、むしろ海外で木工旋盤が「ウッドターニング」として趣味でやられているという事実です。
 そして、創造力と工夫で、この回転する木材を様々な形に削り上げることができることに、木の文化は決して和の文化ではなく、世界共通のものであることを知ったのです。
 
http://machinetool.co.jp/aisatsu.html
 
 ようやく最近、木工旋盤が輸入され、インターネットの普及で個人でも情報や材料を取れるようになり、そして、やってみれば、陶芸並みに入門しやすく、同時に限りなく奥深いものであることも・・・。
 
 実は若かった頃から山登りをしてましたが、競って頂上を目指すこと(ピークハンティング・アルピニズム・・・)ばかり考え、、、バカだったなぁと思います。
 最近になって、森に生息する野鳥や草花、そして木工旋盤をはじめて、木材から樹木への興味が広がり、自然指向とは名ばかりで、実に見落としてきたことが無数にあることに気付かされ、、、
 
 大げさに言えば、自然と人類の関係性の本質的な問題、存在と生と死、地球環境と宇宙・・・
 
 小さな木材一つを削る動作の中に埋め込まれた、無限的なつながりを楽しめるようになりました。
 
 感性と理屈は対極的に語られますが、人間社会の中では双極的になってしまう事が、自然物と人間性が一体となれる世界は実は身近にも存在しているということだと思います。
 
 と、いいますが、こんなことは殆ど考えずに日々木工旋盤に向かっています・・・