びーすけ工房でひとやすみ

思うことをびーすけ工房からお送りします。

木材のいのち

 最近、コロナ以降でしょうか、何故か気力が低下して作品作りが進みません。
 
 知り合いにそんな話すると、老化だねと一蹴されます。
 
 自分の木工は、一般の人とは違うという自負が少しあります。

「木材」=きれいに製材されて値段が付いた商品で、見た目が良くて加工もしやすく、無駄がなく、ゴミもあまり出ません。

 私がやっていることは、伐採目的がほとんどの″処分″となる自然木を、生木の内に引き取って(殆どいただきます)、数年乾燥させて、貧弱な工具で製材し、しかも″もったいない精神″で、節やひびも受け入れて、当然に見てくれが美しくなくても、板にしたり、旋盤で挽物作品にしたり・・・。

 
 何故だろうと思うのは、伐採=木の死とは思えなくて、生命の延長線上にある意味を問いたいという、非常に抽象的な感覚に導かれているのだと・・・、たぶんそんな曖昧なことかと

 

 例えば、食肉加工も動物の死によってもたらされますが、仏教的には殺生は否定的ですが、キリスト教的には肉によって別の生命が救われるみたいな、ちょっとご都合主義な合理主義があって、結果、生命が解体されてます。
 
 なので、木も生命でありますが、木材加工も同様な理屈が当てはまります。
 
 なので、反抗的な気持で、その木材に残された全体すべてを否定できず、可能な限りすべてを作品に残すことで、太陽と水と土の中で生きた個体の姿を表現したい、、、みたいな
 
 
 なに、くだらない屁理屈でかっこつけてんの、と思われますが、
 
 実は、そんな風に動かない怠惰さを叱りつけてやっているので、屁理屈も必要だと思ってます。
 
 なので、自分も含む人間の死について考えると、つまりは燃やして灰にしてしまいますが、どう思いますか?