また、いいタイトルが思い浮かびません。
私のようなプログラム初級者でも、必ず使う方法があります。
「あるものが正しければ、『こう』せよ」→真の処理
「あるものが正しくない場合は、『こう』せよ」→偽の処理
コンピュータが扱いやすいのは、この真偽の分岐が明瞭であることです。
高速な判断が出来、能率も上がる訳です。
人間の能力がその速度に及ばないのは、機械では判断できないあいまいな価値判断が多く介入するからです。
それを、コンピュータのように高速で判断出来れば良いのにと思います。
決断は早い方が良い。
実際、先の読める優れた経営者はそういうものです。
なので、独裁者が時々出現したりします。
高速で決断します。
彼の中に、どのようなプログラムが書かれているのか興味があります。
それをコードに書き出せれば、政治をコンピュータに任せられるようになりますから。
実際は、コンピュータ自体は考えてません。人間が考えたプログラムが命令しているだけです。
自分にとって難しい処理や、期待する結果を出せるプログラムを考え出そうとすると、とても長い時間がかかる時があります。
これは無理かなと諦めそうになることもあります。
逆に言うと、短絡的に考えたプログラムは時として不具合も出やすいということです。
ただ、この一文を書きながら気が付いたのは、昔諦めていたようなものを、今は考えついたりしていることです。
どうして、そうなったかは良くは分かりません。
パソコンという能動的な機械が出現したことで、それを使うたびにトレーニングさせられていることは感じてます。
思えば、私たち人類は、この複雑怪奇な人間社会に放り込まれ、幸福追求という政治プログラムを常に考えさせられてきました。
その結果、昔より遙かに生きやすい世の中を実現し、そしてまたその途上にあるわけです。
もう無理だと投げ出せば、政治は止まります。
そして、特定の意志を持った人が短時間で考えたプログラムに従わざるを得なくなるのです。