巨大な自然災害が、人間の想像力を木っ端みじんにした1年でした。
以前、「失われた10年」というのがありました。
これは、この一年を振り返っても現在進行形かもしれない・・・
失われた30年になるかも知れません。
「団塊の世代」は、悠々の老後?・・・、か。
古きよき時代という言葉を噛みしめられる世代。
そして、概ね自己完結できる世代。
一方で、日本の高度経済成長を体験的に知らない世代。
大学出ても、よほど頑張らないと非正規雇用に追い詰められてしまう世代。
ゆとりの低学力とか呼ばれ、まるで自分たちがそもそも悪いかのように外部規定されてしまう世代。
“良い時代”を知らず、今の現実が全ての世代。
成長のない時代に、唯一の、商機の対象とみなされる世代。
適当に利用されてしまう、世代。
実は、このどちらの世代も、失うものがありません。
一世代の時間の中で、変わらない現実に乗っている世代だといえます。
無際限とも思える国家的医療負担を疑問に思わずに来られた世代と、
まだ子どもなのに、自身が商品化されている、そんな自分に疑問を持つ必要のない世代。
どちらも、良いのか悪いのか、絶対的尺度はいらないのです。
そして、ところがそのどちらでもない世代がここにいる・・・。
中間世代。
絶対的尺度を求められてしまっている世代。
高度成長期に生まれ、しかし人生後半は衰退の時代と同時進行している世代が存在します。
わたしもその世代です。
「良かった時代」を過去に所有し、そして、今や漸進的な欠乏に気が付き、自分の待遇もどんどん悪くなり、これまで無自覚でいた非正規雇用世代の動向にも注視しなければならない現実段階に生きなければならない世代。
この世代こそが、「失われた世代」です。
そう身体的に実感できる世代。
この世代が中核を成す、今の政治家たちを見ても、殆どが“2つの物差し”の間を行き来し、迷走しています。
捨てなければならないものを、決めなければならない世代。
あらゆる決断が重くのし掛かって来ています。
この世代の一員として、やるべきこと・・・、
勇気をもって実行しなければならないこと、
それは、とりあえず現実に存在する世代間の“糧の不均衡”を均衡にすることしかありません。
自らの世代の今後を削り取る決断でもあります。
前世代にはできなかった決断を、いよいよ迫られる時が来ているのだと思います。