70年後の福島を想像してみてください。
「そんな未来のことより、明日の生活だろう!!」
と、怒られそうですが・・・。
70年という年月は、ほぼ一人の人間の歴史の長さです。
その人生終焉の時には、若き日の話は遠い過去になります。
その過去に、相当大きな事があったとしても、若い世代、ましてや孫の世代には感覚的には理解できない記憶物語になってしまい、記憶の価値自体も廃れてしまっているかも知れません。
同じことが戦争体験にいえるでしょう。
自分の親たちはその体験者であって、記憶の断片の中に戦争の情景が再現されるので、私たちはそれを歴史として再構成して、教訓化することは可能です。300万人以上の国民が絶命したのですから・・・。
しかし、その教訓は、あの敗戦直後と現在ではまったく異なり、すでに「是非を問う」対象になってしまうのです。
つまり、70年近く前、平和主義の是非を問う必要はありませんでした。それは絶対的意味を持っていましたから。
今ではそれを否定する論理もまかり通るようになってしまうのです。
その同じ70年近く前、私たちはもう一つ失うことがありました。
5000平方キロメートルの島々です。それは未だに失ったままです。それ程に、当時の日本の指導者は国際情勢を知らず、未来への決断力がない、愚か者達の集まりであったということです。
今、再び5000平方キロメートルの土地を失いました。恐らく半世紀以上、そこに人々が戻れることはないでしょう。
今、正しい決断をしなければ、さらに70年後、私たちの子孫はまた再び大切な国土を失うことになるでしょう・・・。