バーチャルの限界のことです。
コロナ禍でリモートばやりですが、いろいろ指摘もされてます。
なかなか何処へも行けず、
「あ~あ、空気のいいところで星空眺めたいっ!」
この率直な気持ちは、そういう体験があればこそ出る台詞です。
昭和30年代生まれの私たちは、この意味ではまだ恵まれてたと思います。
学校や親の意識・考え方と無関係に、子ども間の年齢差も殆ど気にせず、″子ども達だけの世界″という自然空間の中で遊べてました。
勿論良いことだけではありません。「いじめ」のようなこともありましたし、取っ組み合いの喧嘩、遊びの中での怪我、、、等々
今なら褒められないことも多々・・・。
ただ、今との大きな違いは、日常の些末な部分には、殆ど大人は介入せず、自分達で解決しなければなりませんでした。
冒頭の「・・・星空を眺める」も、どこか遠くに行かなくても、日常の空気感の中にあったと記憶してます。
つまり、大人からのサービスが無くても、私たちは自分の五感でいろいろ体験できる世界が自然に保障されていたのです。
なので、この世代は大人になって家族を持ち、「キャンプブーム」を作り出しました。
自分が五感で得たものを、自分の子にも経験させたい
ところが、
現在、社会の生活格差、そしてこれからのコロナ禍のような、さらに引き返せないような環境破壊・・・
退職した5年前ころから嗅覚の急な衰えがあり、現在殆ど普通に臭いの感じない生活をしてます。突発性難聴の鼻版だと思います。もうこの先臭いは戻らないでしょう。
ところが、面白いことに、五感の一つが衰えしまうと、他の感覚が強くなる感じです。私の場合、光とか音とか
そして、過去に経験した臭いの記憶も
いろいろ″ものをつくる″ことをしている今の生活の中で、それぞれの「感覚記憶」が常に刺激となって、″いろいろ思いつく″ことが楽しくて、妨害されないかぎり、殆ど退屈な時間がありません。
今、間違った学校教育が行われてます。
大人が勝手に作った管理システムの中に子どもを囲い込んで、自然界の生命として生まれた人間の幼生たちから「感覚経験」を奪い、0と1で動く世界に閉じ込められた人間の製造に邁進してます。
リモート云々は、感覚記憶を失った人々だけの世界になったら、そこではもう何も創造されないでしょう・・・。